弱いなら弱いままで。
少年の夢とは、たとえば世界の救済、囚われの少女を塔から救い出すこと、あるいは空を翔ぶ城――男ならだれもが幼い日に夢みるロマンだ。
多くのひとはやがてその日の情熱を失い、あたりまえの日常のなかに人生を埋没させていくのだが、この老天才作家の想像力は枯れることがなかった。
かれが70歳を過ぎたいまでも少年めいたロマンを保ちつづけていることは、映画『風立ちぬ』を見ればよくわかる。
しかし、きょうではピュアな少年の夢を叶えることはむずかしいことも事実だ。
それは暴力や戦争、そして帝国建設に直結していく想いだからだ(ラピュタ王を目ざしたムスカ!)。
しかし、そういう問題点を認識したうえで云うなら、ぼくはやはり「男の子の物語」が好きだ。そういう少年にしか感情移入できないと云ってもいい。
コナンが好きだし、ルパンが好きだ。パズーが好きだし、堀越二郎が好きだ。
ほかの作家の作品で云えば、『グイン・サーガ』のイシュトヴァーンが好きだし、『燃えよ剣』の土方歳三が好きだし、『ファイブスター物語』のダグラス・カイエンも好きだ(ぼくのハンドルネームはカイエンから採っている)。
どこまでも純粋で美しい少年の夢に殉じて一生を終える男たちの生きざまが好きでならない。
しかし、そういう「男の子の物語」ばかり見ていると、やはり物足りなくなる。そこに「少女の視点」が欠けているからだ。
これはべつに政治的正しさとか倫理的正当性といった話ではなく、自分の趣味の問題として云うのだが、「男の子の物語」ばかり見ていると、そこに「女の子の物語」が欠けていることに残念さを禁じえない。
あたりまえのことだが、少年の夢があれば少女の視点があり、男の子の願いを叶える物語があるなら女の子の祈りに通じる物語があるのだ。
ぼくとしては、少年の夢と少女の視点が拮抗した物語を見たいと思う。
いずれかに偏るのではなく、両方が緊張感をもって対決する世界を見てみたいと望む。
しかし、現実には少年の夢を描いた物語では、やはり女の子たちは脇に追いやられることになりがちなのではないか。
『Fate/Zero』が典型的で、あの小説を読んだひとが最も印象にのこるのは、征服王イスカンダルのキャラクターとエピソードだと思う。
イスカンダルのサーガは典型的な「男の子の物語」で、かれは夢に生き、夢に死ぬ。
かれの夢とは世界征服。まさに男の子がそのままになったような男で、イスカンダルはあった。
いまどきこういう男子は貴重だから、イスカンダルは非常に印象的なキャラクターとして成功していると云える。腐女子人気が沸騰したこともよくわかる。
しかし、そこに被害者の視点がない。イスカンダルが征服した土地にいた人々の想いは、そこではまったく描かれていない。
なるほど、男たちはかれの夢に魅せられ、ともに歩んでいこうとしたかもしれない。それがイスカンダルの軍団を形成していったかもしれない。
しかし、女はどうか? 少女や妻や母親たちはどうなのか?
おそらく彼女たちの平和な生活はイスカンダルの征服によって蹂躙されたはずだ。
イスカンダルは決して征服や略奪や陵辱を悪と見做してはいないように見える。
かれが赴いたところ、悪夢のような地獄が誕生したはずだ。そこで女たちはどうしたのか、その視点が必要だと思うのだ。
くり返すが、ぼくはそれが倫理的に重要だという理由で少女の視点を求めているわけではない。
そうではなく、少年と少女の両方の視座がそろって初めて、物語に緊張感が生まれると思うのだ。
そういう意味では、永野護監督の『ゴティックメード』は良かった。
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