きょうは「凄さ」の話。ひとの「凄さ」を的確に判定するのってむずかしいよねー、という話題です。

 まあペトロニウスさんとか、LDさんとか、リアルで逢って話してみるとその思考速度や情報連結力の凄さに圧倒されるものがあるのだけれど(『3月のライオン』で島田くんの思考を受け止めた零くんが圧倒された感じといえばわかってもらえるでしょうか)、ネットだけ見ているとあの凄みはなかなかわかりづらいだろうな、と思うわけです。

 いざ追いつこうと考えるととんでもなく大変な人なんだけれど、欠点に着目すればそりゃ貶すこともできる。このブログ、誤字が多いよねとか(笑)、そういうふうに語ることはできるわけですよ。で、それは一面では正しい。

 べつにぼくの仲間内だけではなく、ひとの能力を客観的に認識することはじっさいむずかしい。どうしても過小評価したり過大評価したりしがちになってしまう。

 特に一流のプロフェッショナルの力量は、なかなかシロウトが判定できるものではありません。ぼくたちはイチローが凄いことを知っている。本田圭佑が、浅田真央が、凄いことをわかっている。

 しかし、ほんとうの意味で知っているか? わかっているか? といったら、怪しいものなのではないでしょうか。というか、少なくともぼくにはわからない。ただ想像することができるだけです。

 というのも、一流は一流同士で競り合っているから、その凄さが相殺しあって、そこまで凄く見えないのですね。もちろん、完全に相殺されるわけではないのだけれど、そのほんとうの凄さはなかなかわからない。

 どういうことか? たとえばサッカーを考えてみると、じっさいにはJリーガーは超正確なパス、ものすごい軌道のシュートなどを使いこなしているはずなんですよね。

 でも、敵も超正確だったりものすごかったりする技を使うから、互角の勝負になる。そうなると、シロウト目にはもう凄さがよくわからなくなる。

 「ああ、たぶん凄いんだろうな」とぼんやり想像することはできるとしても、真の意味での凄さを正確に理解することはむずかしいでしょう。

 それを理解できるのはサッカー経験がある人間だけです。たとえば自分が必死に努力して全国大会に何とか出場した、というような人物は、Jリーガーのプレイがいかに傑出しているかを知ることができるはずです。

 しかし、シロウトにも凄さがわかる場合があります。その凄さが一流同士においてなお相殺しきらない場合です。つまり、一流のなかに超一流が出現した時ですね。

 1位が2位以下に大差をつけて凄ければその凄さがわかるんです。したがって、スポーツ漫画などでは、強敵を表現しようとする時、そういう描写がなされることがある。

 つまりは『黒子のバスケ』の「キセキの世代」とか、ああいうのはだれでも凄さがわかるんです。しかし、じっさいには、大抵の場合、1位と2位ではそう大きな差がつくことはありません。

 たしかにウサイン・ボルトみたいな大天才が2位以下を大きく離して優勝したところを見た時、ぼくたちは「凄え!」と感嘆します。で、たしかにボルトは凄いのでしょう。

 だけど、ここで誤解が生じる恐れがある。つまり、そういう超一流だけが凄くて、一流は大したことないんだな、と思ってしまうのです。

 つまり、抜きん出た金メダリストの凄さはよくわかるとしても、銀メダリスト以下の凄さはよくわからないので、ああ銀メダルなんて大したことないんだな、と考えてしまうとか。

 それは極端な例ですが、そういうことはありえると思うのですね。たとえばサッカーを見て「ブラジル代表は凄いけれど、日本代表なんて大したことないよね」という人はわりにいる。

 でも、日本代表は凄いんだよね。というか、ただのJリーガーでも凄い。全国大会出場でも凄い。「どこにでもいる普通の選手」ですら、実は一般人から比べれば相当に凄いのです。