弱いなら弱いままで。
Pha『ニートの歩き方』を再読しています。再再読かも。読むたびに新しい発見がある、というわけでもないのですが、内容的にぼくの目ざすところと共通点があるので、読んでいると安心感がありますね。
もっとも、Phaさんは「だるい」という言葉を多用するんだけれど、ぼくはあまり「だるい」とは思わなくて、どちらかというと毎日の退屈さをどう解消しようか悩むくらい。
ただ人付き合いのストレスに致命的に弱いので、こうしてパラサイトライフを送っているだけであるわけです。基本的にぼくは意外と活動的な人間なのかも。
いや、人並み以上にエネルギーがあるわけでは全然ないんだけれど、やっぱり毎日だらだらしていると活力が余るんですよ。その程度にはアクティヴ。もっと外にでる機会を作れると良いんだろうけれどね……。
ぼくとPhaさんの差異はもうひとつ、Phaさんはなんだかんだ云って都会暮らしをしているところですね。都会にいるとひとと出逢う機会とか、圧倒的に作りやすいんだと思う。
その点は、新潟くらい大きな都市でも、ちょっと東京とは比較になりません。ひとと逢いたいなあ。そうかといって、東京でひとり暮らしというのもお金がかかる上にめんどくさいですしね。東京に行ったところでアクティヴに動けるわけじゃないかもしれないし。
「家族以外のひとと逢う機会がない」ということがひきこもり生活の最大のネックです。ほかはほとんど何も問題ない。まったりスローライフを満喫しています。
最近、興味を持ってその手のスローライフ本を読んでみるんですけれど、やっぱりダメですね。全部読んだわけじゃないのでたしかなことは云えませんが、他愛ないきれいごとばかり書き連ねてある本がほとんどという印象。
スローライフという発想そのものが間違えているとは思わないんだけれど、やっぱり極端なんですよ。科学の恩恵の偉大さをわかっていないとしか思えない本が多い。
こういう本は往々にして近代を批判しているんだけれど、資本主義と物質文明が生み出す「余裕」があって初めてスローライフなどと云い出せるのだという現実を無視している。
「貧しくても幸せな生活」はあるだろうけれど、食うや食わずの生活はやっぱり楽じゃないと思うわけです。たしかに経済発展「だけ」が大切なはずはないけれど、経済なんてどうでもいいからもっと豊かな自然と暮らそう!みたいなことを云われてもね。
何度か書いていますが、ぼくは「ほどほどスローライフ」がベターだと思っていて、いかにそれを成し遂げていくかが人生のひとつのテーマです。
「環境と調和した平和な暮らし」とかね、もう刺激が足りなくてうんざりするでしょうね。やっぱりそこは極彩色のアニメやら漫画があって、コンビニやファストフードがあってなんぼというところがありますから。
つくづく人生はバランスだと思う。極端に偏ることは良くない。自然の豊かさに触れたいことはやぶさかではないものの、「管理されない自然」に幻想を見るほど幼稚でもないということ。
結局、何であれ「そこそこ」とか「ほどほど」にとどめて暴走しないことが肝心なのかな、という気がします。そういうわけでPhaさんの提唱するニート暮らしには共感しつつ、でも、ぼく個人はお金も欲しいよなあ、ひとと触れあいもしたいよなあという気もするんですよね。
これも繰り返しになりますが、現代社会を幸福に生きるためには、
(1)お金。
(2)時間。
(3)関係。
(4)趣味。
の四点を充実させる必要があると思っていて、ぼくは「お金」と「関係(人間関係)」がちょっと貧しいかな、と。
正確にはネット上の「関係」は充実しているんだけれど、何しろ地方在住なので、休日ごとにひとと逢うという訳にはいかない。それが、非常に大きな課題ですよね。人恋しいよう。うう。一方で「時間」は限りなくあるし、「趣味」は恐ろしく充実しているんですけれどね。
とりあえず、オフ会でも開くか……。
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