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といっても、「ホームレスの暮らしはこんなに悲惨だ」という内容ではない。その正反対、何かというと人生の落伍者、あるいは社会の敗残者として捉えられがちなかれらを、「都市型狩猟採集生活者」として再定義し肯定的に評価しようとする本なのである。
この本を読んでいると、ホームレスという暮らしもそれはそれで悪くないように思われてくるくらい。もちろん、著者の語ることをそのまま真に受けるわけではないが、しかし「ホームレス=悲惨で孤独」という決まりきった図式から一歩離れてものを見ることができるようになることはたしかだ。
そこにはある種のセンス・オブ・ワンダーがある。ホームレスという人生は決して「なし」なものではない。ひとによっては、そこに幸福や充実を見いだすことも可能なのであって、十分に「あり」なのだ、という発見。
著者によると、都会の街なかには、たとえば海に海の幸、山に山の幸といったものがあるように、「都市の幸」と云うべきものがある。都市型狩猟採集生活者たちは、それを採集して暮らしているのだという。
それでは、「都市の幸」とは何か。それはズバリ、「ゴミ」である。正確には「ゴミ」として廃棄され、一般にかえりみられないモノこそが、都市型狩猟採集生活者たちにとっての「都市の幸」なのである。
かれらはそのままなら捨てられ、燃やされ、あるいは埋められて無価値になってしまうモノに価値を見いだし、再利用を試みるわけだ。それは都市という巨大な物流空間にパラサイトしているとも云えるだろう。
普通に考えたらまさに落伍者としか云いようがないわけだが、かれらの「狩猟」と「採集」は、べつだんだれを傷つけているわけでもない。よく考えてみれば、非難されるべきいわれはないはずだ。
そしてかれらは必ずしも不幸ではない。不幸ではないどころか、実に楽しげに「プア充」を究めている人物すら登場する。
この本に出て来る個性的な登場人物たちのなかでも最も印象的なのは、文中、「代々木公園の禅僧」と呼ばれている人物である。かれは何と一切お金を稼がず、持たず、2年ものあいだ0円で暮らしているという!
そんなことが可能なのか? 可能なのである。食事はホームレス支援団体や教会などによる炊き出しに頼り、洋服や生活用品なども教会からもらう。それだけで生きているのだという。もちろん、お金を使わないから財布も持っていない。
ここのところ、『ニートの歩き方』とか『稼がない男』とか『年収100万円の豊かな節約生活術』とか『Bライフ』とか、「いかにほとんど稼がないで豊かに暮らすか」の本を色々と読んできたのだが、「収入0円」とは究極である。
1年間一切お金を使わないで生きるという生活実験を綴った『ぼくはお金を使わずに生きることにした』という本があるが、この「禅僧」の場合、2年以上もそれで暮らしているわけだから、凄いとしか云いようがない。
かれは語る。
「本当に幸せだよ。ここには、鳥たち生物もたくさんいるし、植物もたくさん育っているからね。それを眺めているだけで、心が落ち着いて気持ちよくなる。公園の周りでは、若者がよく音楽を演奏しているしね。そういうのも自分の娯楽として楽しんでいます。ホームレスっぽい恰好をしていれば、こうやって、〇円で幸せな生活が送れるんだよ。あんまり人には教えないけどね」
こういうひとたちを見ていると、ほんとうにお金には絶対的な価値はないのだな、ということがわかってくる。
べつだん、何千億円
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