羽海野チカ『3月のライオン』第7巻の冒頭で、前巻で主人公に敗れ去った脇役の山崎順慶がこう切々と語る場面がある。
「信じれば夢は叶う」
それは多分 本当だ
但し 一文が抜けている
「信じて努力を続けていれば夢は叶う」
――――これが正解だ
さらに言えば
信じて
「他のどのライバルよりも1時間長く
毎日 努力を続ければ
ある程度迄の夢は、かなりの確率で」
叶う――だ
そしてこのように続く。
キャッチコピーというものは 短い方がいい
――でも これは あまりにも はしょり過ぎだと思う
それじゃまるで「何もしなくても」「ただ信じていれば」
叶うみたいじゃないか
この文章を
ここまで削ったヤツに
何を思って
ここまで削ったのかと
問い質したい
前巻で悪役然として描かれていた山崎の独白だけに、胸に染み入るような台詞である。色々な解釈があるだろうが、ぼくはここから山崎の、「信じれば夢は叶う」と無邪気にいう世間の人々に対する反感を読み取った。
現役のプロ棋士である山崎は、人並み外れた努力を積んできた男である。その山崎に向かい、かれの知人たちは「有名になってTVとか出てよー」「でさぁ!! 早く名人とかなっちゃってよー」と気楽にいう。
ほんとうの努力と、それが報われないことの苦しさを知らない者の台詞である。山崎でなくても、このような言葉を「暴力的」だと思うことだろう。しかし、それでも「信じれば夢は叶う」と他人に語るひとはいるものだ。
それはもはや理性的な判断というより「信じること」に対する信仰である。こういう信仰は何か歪んだものを生むとぼくは考える。たしかに成功のためには「信じること」が必要な一面もあるだろう。自分は成功できると信じなければ努力できないからだ。
しかし、じっさいには信じて努力したところで、夢が叶うとはかぎらない。山崎の言葉は、裏を返せば「他のどのライバルよりも1時間長く毎日努力を続けたとしても、あまり大きな夢は叶わないし、ある程度までの夢も一定の確率で無理だ」という意味になる。
身も蓋もない話だが、社会のどうしようもない現実である。もちろん、艱難辛苦の果てに大きな夢を叶えるひと握りの人々は実在する。しかし、かれらが成功したということは、ぼくやあなたが同じだけ努力をすれば同じように成功するということではない。
努力には限界があり、そしてその限界まで努力したところで、才能や環境や、さらには幸運を持った人々には勝てないかもしれないのだ。
「信じれば夢は叶う」とはいわないひとたちも、どうかすると「努力すれば夢は叶う」といってしまう。しかし、これもやはり欺瞞を抱えた言葉だ。
コメント
コメントを書くがんばることに意味がある、っていうのは逆な気がする。
どうしても諦めきれない、諦めたくないから結果がんばるだけなのでは。
私はそこまでの夢を持ったことはありませんが。
人生は運だと思います。
努力は巡り合わせの可能性をあげてくれるもののひとつだと思います。