弱いなら弱いままで。
これがもう、三者三様の傑作ぞろい。作画はそれぞれ別人が担当しているにもかかわらず、強烈な作家性を感じさせます。これは才能だなあ。
あまりに面白いので、城平さんのデビュー作にあたる『名探偵に薔薇を』も買って来ました。いや、ほんと、世の中、面白いものが多すぎる。
このブログではくり返し書いてきましたが、ほんとうに現代は知的なものから俗悪なものもまで、エンターテインメントが飽和している時代だと実感します。
もはや一部の限られた傑作だけに絞ってみたところで、一生かけても消費しつくすことはできない。これは幸せなことではありますが、ある作品との「一期一会の感動」を奪うことでもあるかもしれません。
というか、社会のすべての局面において「一期一会の感動」は失われていっているといっても良いでしょう。ぼく(たち)は膨大な作品が提供されるのに慣れ、ひとつひとつの作品と真剣に向き合う目を失いつつあるのかもしれない。
ただ、一方ではネットでこれまた膨大な人間による集合知的な作品分析も行われているわけで、そう簡単に悲観論を唱えることもできません。
じっさい、このあまりにも豊かな時代を前にして、どう適応するかは人によって違っているという辺りが真実ではないでしょうか。
ある人は自分に合った作品を消化しつつ毎日を楽しく過ごし、またある人は次々と生み出されるコンテンツに対し飽食的にうんざりしている。その二者の間の格差は何かといえば、つまりは「意識の持ちよう」でしかないわけです。
ぼくは個人的に、このエンターテインメント飽食の時代に適応するために自分なりの文脈を用意して、それに沿ったものを消化していくことを課しています。
そうでなければいくらか傑作でも切るということですね。何とも贅沢な話です。気分は生きることに飽いた大貴族。生きることか、そんなことは家来に任せておけ、ですよ(これ、だれのセリフだったっかな)。
ともかくひとつはっきりしていることがあります。この享楽過多の現代社会では、すべての体験をただ受動的に受け入れるか、それとも主体的に追いかけるかによって、「生」の輝きに大きな差ができるということです。
ただ単に与えられた快楽を享受しつづけるだけでは、やがては生きることそのものに飽き飽きし、本来は素晴らしいはずのものの価値がわからなくなっていくことでしょう。
そして
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