弱いなら弱いままで。
【無料記事】ネット乞食は悪くない。(2248文字)
インターネットが一般に普及してから何年も経ち、それを通して、物やお金がやり取りされるようになった。こういう時代では、「ネットを通して乞えば物なりお金なりを恵んでくれるひとがいるのではないか」と考えるひとも出てくる。
極端なところでは「金くれ」(http://kanekure.ssig33.com/)というそのものずばりのサービスがある。銀行口座番号とひと言を登録し、だれかがお金を振りこんでくれるのを待つというサイトで、じっさいどれくらいの効果があるのはともかく、発想としてはおもしろい。
そこまでいかなくても、たとえばブログなどにAmazonの「ほしい物リスト」を公開する、そうするとそれを見ただれかが何かを買ってくれる、そういうことは時々ある。
かくいうぼくも一時期、「ほしい物リスト」を公開していた。そうすると、あるひとがサイダーひと箱とパスタを送ってくれた。めちゃくちゃ嬉しかった。プレゼントにはひとをハッピーにする魔法の力がある。
しかし、こうした行為を「ネット乞食」と呼んで嫌うひともいる。そうだろうか。仮にそうだとして、それでは「乞食」とは何が悪いのだろう。あなたはその「悪さ」を論理的に説明できるだろうか。
乞食というと思い出すのは、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの「唇のねじれた男」である。ある立派な男が乞食に身をやつして稼いでいた、という話で、まじめに働くより乞食をやっていたほうが儲かるという価値の転倒がおもしろい。
一般に労働は素晴らしいことで、怠惰は悪徳とされているわけだが、その価値観がここでは崩れ去っているわけである。まあ、こういう小説が成立するのも乞食を侮蔑する価値観が厳として存在するからだ。それでいて、どこからどこまでが乞食なのかといえば、これはあきらかではない。
たとえば夫の稼ぎで暮らす専業主婦は乞食だろうか。ある日、仕事の帰りに職場の先輩におごってもらった。これは乞食? 彼女から誕生日にプレゼントをもらった。これも乞食にあたる? ひとそれぞれではあるだろうが、こういう行為は乞食にあたらないと考えるひとが大半なのではないか。
しかし、これらも「無償で物やお金をもらっている」ことには変わりない。どうやらここからここまでが乞食、とはっきり線引することはむずかしいようだ。
それでは、結局、「ひとから無償で物やお金をもらうこと」は何が悪いのか。ひとつには、それがひとの精神を堕落させるから、という理屈がある。
他人から無償で何かをもらってばかりいると、自分で苦労して働いてお金を稼ぐということの意味がわからなくなる。何もしなくても収入があるのだから、がんばったりする必要はない、ということになりかねない。それは人間性の堕落だ。だから、乞食は良くないのだ、という論理だ。
なるほど、一理ある。たとえば、発展途上国への援助なども、一方的に物やお金を送りつけるだけでは必ずしもうまくいかないことが最近では知られている。必要なのはその国が自立していけるように助けることで、とにかく金を送ればそれで解決というわけにはいかないのだ。ネット乞食も同様かもしれない。
ただ、それならそのもらうひとに何かしてもらうのはどうだろう? 何か「芸」を見せてもらってお金や物を贈る。これならビジネスとして成立している気がする。
「振り込めない詐欺」という言葉がある。あまりにも素晴らしくお金を払いたいくらいなのに、お金を送る方法がない、という「芸」に対する言葉だと思う。それでは、何か「振り込めない詐欺」をしてお金や物を募ったらそれは「乞食」にあたるか。
そもそも、このブロマガにしてからがそういうシステムである。ブロマガがビジネスなら、無料ブログで物をねだるのだって立派なビジネスだろう。システムの効率という点で差があるだけだ。
ニートブロガーとして有名なPhaさんの著書『ニートの歩き方』に、「ニートにお金をやるとおもしろい」ということが書かれていた。お金がないひとにお金を送って、そのひとがどう使うのか観察する。そういう「娯楽」が成り立つなら、ネット乞食も悪くないかもしれない。
ただ、お金が絡むと、問題は複雑化することもたしかである。「クラウドファンディング」という言葉がある。Wikipediaによると、「クラウドファンディングは、不特定多数の人から資金を集める行為である。群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、製品開発やイベントの開催、チャリティなどの用途で利用されることが多い。ソーシャルファンディングとも呼ばれる」とのこと。
これはあくまで資金集めの方法論だから乞食とは異なるが、ネットでこういうふうにお金を集めようとすると大炎上になる可能性がある。「こんな奴にお金を集める資格はない」といわれてしまうのだ。
ぼくはネット乞食を悪いこととは思わないが、乞食する以上は良識派を自認するひとから攻撃される危険性は覚悟しておくべきだろう。現実にお金を得るためには何かしら「芸」がある必要があるだろうが。
ところでぼくの「ほしい物リスト」はこれである。どうか旦那様がた、お恵みを。
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コメント
コメントを書く海外で乞食にまとわりつかれた経験から言えば、いわゆるネット乞食は向こうから寄っては来ないので
許容範囲です。
現実ではよほどの物好きでもない限り乞食に近づこうとする人はいないでしょうが、ネットには志の
高い方が多くいらっしゃるのか、わざわざ自ら近寄ってご高説を垂れられる場面をよく見ます。
アニメ画像のプロフィールじゃなくて、素顔を公開してくれたらamazonでカップ麺買ってあげるよ
お前が古事記したいだけじゃねーか 4ね
対価云々の論点で語るなら、
ネット乞食の場合乞食本人ではなく、恵んだ側の「恵んでやった」という満足感を満たすため金銭の譲受をするという解釈なら納得できる。
主婦の家事に対する対価なんて環境や子供がいるかいないかでだいぶ変わるし基準にならないと思う。
新卒就職率がどんどん落ちてると言うことは技術やネットの進歩で、人間に対して社会に仕事がなくなっているとも言えるしこれから先、乞食も間違った価値観じゃなくなるかもしれない。と思った。
書いている内容全てへ理屈だろ、これは。
プレゼントとか専業が乞食?常識で考えろよ。
「金をくれ!」って堂々と口や態度で言っているのが乞食だろうが。
この著者頭悪すぎ。常識をもっと勉強してこい。
一般論からして、笑えないな
もしこれを日常としてる人がいるなら、堕落という人間でしょうな。
乞食行為について
喜捨やサダカ、ダーナのような文化、宗教的な寄付の事を考えれば
与える側と貰う側どちらを主体と見るかによって行為の意味も変わってくる
上記三例は与えることによって心理的満足や名声という対価を得られるということも見逃してはならない
乞食行為は与える側が居なければ成り立たない
あなたも与えることで無形の利益を得てみてはどうだろうか?
幸いにも筆者がウィッシュリストを公開しているので「Amazon ウィッシュリスト経由で砂 1 トンを送る方法」
を参考に与える喜びを体験してみるのも良いかもしれない。
こいつの理屈だと、
売春は悪いことだろうか、たとえば専業は・・・
になるな。
言葉の定義づけを明確にしよう。
この記事では乞食については書かれていないようだし。
ただ単にものをもらうことを乞食とは言わない。
物品以外でも、労力や、精神、時間などあらゆるものををお金や品物と交換することができる。これが、取引である。
家事をしているなら、主婦は取引をしているし、家事をしていないなら、そいつは主婦ではない。
乞食というのは、「哀れみ」を前提に←(ここ重要)、有言、又は無言で、他人から何かを要求しようという行為です。
自分は何もせず、相手が勝手にくれたものは、受け取っても乞食にならない。
クレクレちゃんがうざいという話なら、納得して同意するが、今回の話のネット乞食は、相手にエンターテイメント性や、「私っていい人」と自己陶酔や、自己満足をする機会をあたえているので、実は乞食ではなく取引が成立している。
そもそも、あげる側が脅されたり、強要されているわけでもなく、納得してるんだからそれでよくね?
否定させる事が前提でも、喩えが酷いよ‥(´・ω・`)家族を乞食だなんて言わないよ;; 神待ち‥。
「それがひとの精神を堕落させるから」?違うよwそんな崇高な思いで居る人なんて極わずかだよwwよその人がどんな生き方してたって自分にそんなに関係ないもの。 単純に「他人が楽して儲けようとしてるのがムカつくから」批判に繋がっているだけでしょう。「堕落してる」云々はその単純な妬みからくる恨み言を高尚っぽい言葉で飾っているに過ぎないと思う。