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新しいゲームを始めるときはいつもそうであるように、はてしなくひろがる世界に心踊ります。
ただ、ヴィジュアル面では、やはりPS3の映像処理能力の限界は如何ともしがたい感じ。
これがPS4だったらはるかにきれいなのだろうし、まだ見ぬ未来のゲームマシンではさらに美しい世界を仮想現実で体験できるのでしょうね。
まさに『ソードアート・オンライン』。
『SAO』の世界はもう既に夢物語ではなくなりつつあるのかもしれません。
とりあえずSONYの「プロジェクト・モーフィアス」には期待したいところ。
さて、『SAO』は現在、セールス1000万部を超え、ライトノベルの歴史上でも記録的な数字を叩き出しつづけているようです。
ファンタジー世界を模した仮想現実空間で死の冒険を繰りひろげるというアイディアそのものはいまとなってはむしろ凡庸であるにもかかわらず、なぜ『SAO』はこれほど読者を惹きつけるのでしょうか?
――いやあ、これが正直、よくわからない。
もちろん、『SAO』がでたらめに面白いことは論をまたないのだけれど、それにしてもいまどきめずらしいくらいのストレートな冒険小説であるわけで、「いまさらこういうのはちょっと……」という反応になっていてもおかしくなかったはず。
じっさい、同種のアイディアを使用した作品はそこまであたっていないのだから、いったい『SAO』の何がそこまで特別なのか? はっきり言葉にすることは意外に簡単ではないようです。
ひとつ考えられるのは、おそらく「いまどきめずらしいくらいストレートなヒーローものの冒険小説」であることが、かえってプラスに働いているんだろうな、ということです。
『SAO』の最大の魅力が、主人公を務めるキリトという少年にあることは間違いないでしょう。
長大な『SAO』のほぼ全作品に登場して無双しつづけるこの「黒の剣士」は、ほとんど孫悟空とかダルタニアンあたりに比肩する伝説的な存在感を有しています。
ただ、どこか少女めいた容姿に、不世出の剣の腕前、などとその個性を並べあげると、むしろ凡庸なキャラクターに思える。
なぜキリト少年だけがこうもスペシャルに読者を冒険へ誘うのでしょうか?
いろいろと理屈は考えられるのですが、正直、やっぱりよくわかりません。
すべては結局は『SAO』が「王道」の物語であること、そして「王道」はいつも最高に面白いのだということを示しているように思われます。
しかし、その「王道」が限りなく通じにくくなっているのが現代なのであり、だからこそ何かしら「王道」をひねった作品が出現しているはずだったのではないでしょうか?
いったい『SAO』やキリトをほかの凡庸な「王道」的な物語と区別しているものは何なのでしょう。
これはいまもってぼくの宿題で、はっきりした解答を示すことができていません。
まあ、ひとつの決定的な答えがあるわけではなく、作家としての総合的な実力が抜きん出ていた結果なのかもしれませんが。
じっさい、川原礫はその驚異的な執筆速度も含めて、現代最高のライトノベル作家といってもいいでしょう。
特に物語がグレッグ・イーガンめいたオーバードライブを見せる第四部「アリシゼーション」の魅力は別格です。
この「アリシゼーション」、電撃文庫版ではいまだに完結を見ていないのですが、ぼくはライトノベル史上最高のエンターテインメントだと思っています。
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コメント
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アリシゼーションは引き延ばされて中身が薄いから批判されて当然だと思う
SF的な面白さは別格だけどSAOは四ヶ月に一冊しか出ないから内容が薄まると嫌になる…プログレッシブでさらに刊行が遅まるし絶対ナル孤独者でさらに…WEB版はもうちょい短めらしいから評価が高いんじゃないかなー