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「妬み」という甘美な麻薬。

2015-04-01 04:46
     「妬み」の話をもう少し続けたいと思います。

     ひとは他人を妬んで蹴落とそうとするもの、ということはわかるのですが、どうもぼくはここらへんのことが実感できない。

     ペトロニウスさんではないですが、ひとを妬んでいる暇があったら自分が幸せになることに時間を使えばいいのに、と思うのです。

     だから、ぼくは嫉妬の落とし穴に陥って人生を台無しにしてゆくひとにはとても冷たいところがあります。

     自分のなかにない心理だから、共感がまったくないのですね。

     世の中には変わったひともいるものだなあ、くらいの思いしかない。

     そういう意味では、ぼくはまったく非情な奴だと思う。

     ただ、本質的に「妬み」の苦しみは他人がどうしてやることもできない性質のものだと思うのですよ。

     自分でどうにかして処理して行かなければならない。

     その感情を他人に向けつづける限り、ひとは成長することも幸福に自己実現することもできません。

     それでは、「妬み」とは何か?

     ぼくはこういうふうに考えています。

     ある人がいて、何らかの点で自分を上回っている。その人の近くにいると、劣等感で苦しい。そういうときに、どうすればいいか? そのような問題だと。

     この問いに対するアンサーはふたつ考えられます。

    1)自分が努力してその人より上へ行く。

     そしてもうひとつ、

    2)その人をいまいるところからひきずり下ろす。

     という選択肢もあるわけなのですね。

     この「2」は必ずしもその人を罠に嵌めるとかそういうことばかりを指すわけではありません。

     自分の頭のなかでその人の存在を貶める、あるいは周囲とのやり取りのなかでその人の価値を低く捉える、そういうことも「2」に入ります。

     つまり、「あんな奴はバカだ」といってみたりとか、集団で「あいつってクズだよな」と話してすっきりする、といったことも「2」のうちに入るわけです。

     よく、ある人に粘着して攻撃しつづけるひとが「それは嫉妬なのでは?」と指摘されると、「あんなくだらない奴に嫉妬したりするはずないだろ」というようにいい返すところを見かけます。

     しかし、その人を「くだらない奴」と捉えることそのものが、既にして嫉妬の表れであるということもありえるわけです。

     自分のなかでその人を過小評価しなければ耐えられないほど、その人の存在に脅威を感じているということなのですから。

     ひとは、だれより下だとかだれより上だといった他愛ない比較の問題からなかなか自由になれないものです。

     やれ一流大学を出たの、大手企業に入ったのということをとても自慢に思う人は少なくないですし、それができない人間を低く見るひともしばしばいます。

     「ひとを正当に、等身大に評価できる」ということは、それじたいひとつの才能であって、だれにでもできることではないのです。

     ひとをありのままに評価できるためには、虚心坦懐でいる必要があり、それはだれにでも到れる心理ではないですからね……。

     ネット上で有名人が口汚くののしられることが多いのは、やはり嫉妬が原因でしょう。 
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