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心に太陽を持て。あらしが ふこうと、ふぶきが こようと、天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、いつも、心に太陽を持て。
映画『くちびるに歌を』をみた。
圧倒されて言葉ひとつ出て来なかった。
これは、まさに吹き荒れる嵐のなか、なお青褪めたくちびるに歌声を保とうとする、その健気な人々の物語だ。
運命の無情な羽ばたきに吹き飛ばされながら、それでも心に太陽を抱きつづけようとする人たちの鮮烈な生の記録だ。
ここには〈世界〉がある。そして〈人間〉がいる。
どうしようもない巨大な歯車に押しつぶされながら、何とか一生懸命に生き抜こうとするひとの意思がある。
美しい。なんと美しい映画なのだろう。
傑作とか名画とか、そのような陳腐な表現はこの清新な一作に似合わないが、あえてそういうふうに呼ばせてもらおう。傑作だ。名画である。
ひとつ映画に限らず、今年ふれたあらゆる物語のなかでも、出色の一作ということができる。
話は、ある小さな離島の中学校に、ひとりの美貌の女性教師が赴任してくるところから始まる。
ささやかな約束によって合唱部の担当となったその教師は、しかしかれらを熱心に指導しようとはしなかった。
やがてその教師目あてに幾人かの男子部員たちが入って来て、部は分裂し、混乱する。
そしてあきらかになる教師の過去。彼女は元々、素晴らしいピアニストだったのだ。
それなら、なぜ自分たちのためにその天性の技量を振るおうとはしないのか? 合唱部の生徒たちの間にフラストレーションが溜まっていく。
しかし、そのうち彼女が心に抱えたひとつの〈瑕〉が明かされることになる。
一方、生徒たちもまた物語を抱えている。自閉症の兄とともに暮らす少年。実の父親に見捨てられた少女。そして、かれらの想いと教師の想いが響き合うとき、ひとつの奇跡が起こる――。
この映画が描こうとしているものも、ある種の〈諦念〉である。
主人公の少年は自閉症の兄の世話をする人生を受け入れている。自分の生の意味はそこにあるのだと、はっきりとわかっている。
父に見捨てられた少女はそれはどうしようもないことだときちんと理解している。
しかし、それでもなお、そこに「どうしても割り切れない想い」がある。
ひとがひとである限り、純粋に無私の境地には到達できない。どんなに割り切ろうとしても、やはりほんの少しだけ無念がのこる。
だから、そう、くちびるに歌を。
何もかも思い通りにならない、辛く、また切ない日々のなかでも、歌声を保ちつづけること、それが、
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