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平坂読『妹さえいればいい。』の話なのですが、これ凄いよね、さすがだよね、でも単純に面白いかというとどうなんだろう――という内容だったのでした。
というのも、『妹さえいればいい。』は「あまりにも成熟しすぎている」作品に思えるからです。
すべての登場人物がバランスよくトラウマとかコンプレックスを抱えていて、「特権的なリア充」とか「特権的な非リア」とかが存在しない。
しかも各人物はみな自分の人生に責任をもてる大人で、特別大きな「欠落」といったものはない。
したがって、極端な行動に出る動機がない。「いまこのとき」をひたすら幸せに過ごす――ただそれだけといえばそれだけの物語になっている。
それは中高生向きの作品としてどうなのか、ということです。
さすがペトロニウスさんはクリティカルなポイントを突いてくるなあ、と思うのですが、そうなのです。
『妹さえいればいい。』は恐ろしくよくできた作品なのですが、それでもあえてひとつ足りないところを挙げるとすれば、「童貞マインド」が足りないとはいえると思うのです。
世界が成熟しすぎている。童貞くささがない。中二病もない。
いかにもそれっぽく装ってはいるけれど、じっさいはそこからは遥かに遠い。
これは大人の小説なのです。
前作『ぼくは友達が少ない』は「友達がいない自分たち」と「友達がたくさんいるリア充」を比較することによって、その「落差」でドラマを駆動していました。
そう、面白い物語には必ず「落差」があります。
王子とこじきでもいいし、光の鷹と狂戦士でもいいのですが、とにかく極端なコントラストが描けていればいるほどその物語は面白くなります。
しかし、社会が成熟していけばいくほどに、そういう「格差」は失われていくのですね。
『妹さえいればいい。』はあきらかに意識して「友達さがし系」の「次」を狙って来ているわけなのですが、そしてそれはきわめて考え抜かれた計算の結果だということもわかるのですが、「ぼくは友達が少ない」という呟きに続く世界は「ぼくは何もかも満たされている」としかいいようがないものだったのではないか、と思わざるを得ません。
いや、正確にはちょっとした「欠落」は全員が抱えているのだけれど、もはや大騒ぎしてそのトラウマを叫びださないくらい状況が洗練されている。
なぜなら、だれもが何かしらのことは抱えているということはわかっているのだから。
それでどうなるかというと、もうほんとうにただ楽しいだけ、の世界にたどり着いてしまったのですね。
悪くいうなら、ここには確固たるドラマツルギーがない。なぜなら、ドラマを牽引するモチベーションが存在しないからです。
「何も欠けていない」のだから、あえて現状を変革する必要もないということ。
あたりまえといえばあたりまえのことですが、しかし、ここには「それでは物語が存在する意義は何なのか?」という深刻な疑義が挟まれる余地があります。
伏見つかささんの『エロマンガ先生』なんかもそうなんですけれどね。
ある意味で、もはや「問題は解決してしまっている」のです。必死になって解決しなければならない問題は、もはやべつにない。
したがって、
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コメント
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主人公に妹がいると知れたら主人公は小説家をやる動機を失うし波乱の種は十分あるような
あと小説家主人公は作家にとっての現実だけど、読者には憧れの世界だから商品の価値は高いと思う
落差が無い物語は若者向けにどうかって話ですが、萌え系を支持する若者がいる現状をみると落差なんて必要なさげ