異自然世界の非常食 1

 さて、そういうわけで、実家に帰ってきました海燕です。

 初の顔出し生放送、いかがだったでしょうか? わずか2時間ばかりの放送でしたが、さすがにちょっと疲れました。

 まあ、津田さんとLDさんのおかげでかなりうまく行ったと思うんだけれど、事前に緻密な打ち合わせとかをしたわけではなく、かなり行きあたりばったりだったので、ともかくも無事に放送を終えられたことにひと安心です。

 あとなんかもうひとりいたような気もしますが思い出せません。たぶん気のせいですね。お茶おいしいです。

 とにかくひとまず責任を果たし終えてホッとしています。来年も呼んでもらえるようだといいのですが――無理かな。まあ、期待せずに待っていよう。

 聴かれた方はコメント欄に感想など書き込んでいただけれると嬉しいです。よろしく。

 それにしてもおれ、滑舌悪いなあ。

 いまさら努力して直そうとも思わないので一生このままだろうけれど、人前に出る仕事には向かないなとつくづく実感。

 やはり家でちょこちょこブログでも更新しているのが似合っていますね。

 で、その生放送でもコメントを書いてくれたなろう作家・青井硝子さんの『異自然世界の非常食(フェアリアフィリア)』をいま読んでいます。

 ペトロニウスさんがブログで取り上げていた作品ですね。

 ペトロニウスさんは「なろう」で読んだらしいのだけれど、ぼくはあえて書籍版を読んでみることにしました。

 これが面白い。例によって主人公がある日突然異世界に飛ばされるところから始まるのですが、その世界におよそ人間的な文明らしいものとて存在しそうにないあたり斬新。

 主人公は異質きわまりない大自然のなかに突然叩きこまれてしまうことになったわけで、自然、生きのこりを賭けた過酷な生活が始まります。

 SF小説には「異常な自然環境」をテーマにした作品があるわけなのですが、それに連なる作品にあたるでしょう。ブライアン・オールディスとか山田正紀の作品の仲間。

 面白いのが主人公の設定で、社会の一切を拒絶し、自分で小屋を建ててそこで暮らしているひきこもり野郎なんですね。

 当然、そんなダメ人間に異世界で文明的に生きて行くだけの強い動機などあるはずもなく、何か辛い出来事があると小屋に帰ってふて寝してしまいます。

 いやー、ある意味ではほんとうにどうしようもない奴なのですが、ぼくとしては「お前はおれか」というほど親近感が湧くキャラクターですね。

 ぼくも10万円くらいでDo It Yourselfよろしく小屋とか建てて晴耕雨読の生活をできたらいいなと思うもん。

 じっさい一時期その手の本を読みあさっていたくらいで、「なるべくお金を使わずに快適に暮らすこと」に強いあこがれがあるのです。

 この超過酷な異世界自然環境とひきこもりダメ人間主人公という「混ぜるな危険」な両者を試みに化合させてみたところ、怪しい化学反応が起こってとんでもない作品が出来上がったというのがこの小説だと思います。

 なんだかぼくがしっているなろう小説と違いすぎるんですが、世の中にはたまにこういう「カテゴリエラーな作家」が存在するんですね。

 あるジャンルで幾人かの作家が互いに影響を与えあって楽しそうにやっていると、時々、本質的に異質な作家が「ぼくも仲間に入れてくれよー」とやってくるものなのです。

 傍から見ると「……いや、お前は仲間じゃないだろ」という異質すぎる才能であるわけなのですが、そのジャンルの「型」さえ守っていれば一応、表面的にはその種の作家に見えるわけで、そういう人が書く作品は尋常のジャンルフィクションに飽き飽きして珍味を好むようになったディープなファンに絶賛されたりすることになります。

 まあ、ティプトリーやスタージョンが書いたSFや、麻枝准や瀬戸口廉也が作ったエロゲがそれにあたるでしょう。

 見る人が見ればまさに宝石のような名作ぞろいであるものの、ジャンルのお約束から見るとあまりに異質な作品であることには違いありません。

 この『異自然世界の非常食』もどうやらその手の代物らしい。タイトルと設定だけなろう小説の定石から借用しているだけで、中身は全然なろうじゃない。

 異世界に飛ばされて妖精を発見した主人公がまず考えることが「食べられるかどうか」ですからね。野性的すぎるだろ、お前。

 ペトロニウスさんはかれを「内発性をカットしたキャラクター」として語っているけれど、ぼくから見るとむしろ異常なくらい生活力に満ちた奴に見える。

 ただ、社会に適応して前向きに生産しようという意欲が完全に欠落しているだけで、「生きること」に関してはきわめて貪欲。

 そういう意味では貴族的頽廃とかではまったくない。ぼくの意見としてはこの主人公に欠落しているものは「内発性」というよりむしろ「社会性」と「生産性」なのでは?という気がします。

 この主人公、社会的存在としては最低もいいところなのですが、一個の生き物としては必ずしも弱くない。

 最低限のモノさえあってネットにつながっていれば(そう、なぜか異世界なのにネットにはつながるのだ!)、生きていけるという種類の人間なのです。

 「生きることか、そんなものは家来どもに任せておけ」と