冴えない彼女の育てかた 2 (富士見ファンタジア文庫)

 最近、どういうわけか積読していたライトノベルを読もうという気になっていて、きょうは丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』第2巻を読み終えました。

 第1巻を読んだのはずいぶん前のことで、それからテレビアニメが放送されたりもしたのだけれど、なんとなく止まったままだった本をようやく読むことができ、感慨無量です。

 さっそく第3巻にも取り掛かったから、こうなったら既刊全巻を読了する日も近いでしょう。たぶんね。きっとね。

 で、感想なのですが、大変面白かったです。

 第1巻も面白かった記憶がありますが、この手のシリーズものは読み進めれば進めるほどにキャラクターに愛着が沸き、よりいっそう楽しめるようになるもの。

 この作品もご多聞に漏れず第1巻以上に楽しく読めたと思います。

 しかし、いまさらながらに思い知りましたが、内容が古いですねー。

 「主人公が小さなサークルを作って同人ギャルゲーを制作する」という突端からしてとても時代を感じさせるわけですが(いまどきギャルゲーて)、それ以上に「オタク」をことさらに強調する感性そのものが古い。

 ここらへんのオタク自己言及テーマのカッティング・エッジはやはり『妹さえいればいい。』だと思うのだけれど、それと比べると二世代くらい前の作品に感じます。

 まあ、これはあとがきで作者自ら語っていることでもあるし、特に欠点といえるようなことでもないとは思うのですが、それにしても古めかしい。

 思わず「そうそう、昔はこうだったよね!」とうなずきながら読みましたとさ。じっさいにはさして昔のことでもないはずなのに……。

 刊行されたのは数年前のことだからかもしれませんが、それを考慮にいれてもちょっと時代とずれている感じ。

 逆にいえば、ここ何年かの「オタク」を巡る状況の変化には驚かされます。

 新井輝さんの『俺の教室にハルヒはいない』あたりもそんな感じでしたが、もはやこの手の自虐的なひとり語りは通用しなくなっているのかもしれません。

 時代は変わったなあ(しみじみ)。

 具体的に何が変わったのかといえば、「オタク」という言葉を巡る自意識のあり方でしょう。

 『冴えない彼女の育てかた』の主人公はかなり意識的に「オタク」と「リア充」を対比し、時に劣等感に浸ったりしているのですが、こういう形の自意識は最新のライトノベルでは解体されています。

 オタクがどうこう、リア充がどうこうということをあえて意識する必要がなくなったのですね。

 これはリアルに世相を反映していると思うのだけれど、そういう意味ではこの主人公は前世代的なキャラクターといってもいいのではないでしょうか。