確かに大学生就職難で騒がれだした就職氷河期あたりからこういう大卒でも就職難に合うっていう問題が取り上げられるようになりましたね。
ただ当時は其れでもフリーターや派遣社員になりながらもなんとか食いつないでいったりしてました。ニートももちろんいましたがそこまで数は多くなかったはずです。
ただ最近はフリーター派遣は使い捨てで心身ボロボロ、将来も何もないし、ブラック企業の労働問題等で働く人のモチベーションや就職する人のモチベーションをどんどん下げていった。
ただ、それは努力をしてこなかった人の話で、氷河期時代でも自分で考えて行動したり必要な知識を勉強したりした人は派遣でも能力を磨き中途採用で今好待遇で迎えられている現実もあります。
要するに自分の人生に責任感をもってそれに向かって努力さえできれば、人生どうにかなるものです。
だから自己破産がどうとかそういう問題が多くなるのは結局、自分の人生に責任感のない人たちが増えたって事なんでしょうね。
>>60
昔は自分の人生に責任感を持てる人が多かったのに、今ではそれができなくなってしまったのであれば、それは必ずしも個人の問題では無く、大学以前の教育が駄目になってしまったという事ではないかと思います。
それは何故でしょうか?また、学生が自分の人生に責任感を持つようになるには何が必要でしょうか?
>>61
最近の教育がどうなってるのか、自分は当事者でないのでわからないのですが、昔は今よりも個人主義的な考え方ではなく努力しないものは社会的に厳しい目を向けられることが多かったです。
その居心地の悪さからとりあえず働こうと思う人はおおかったのではないでしょうか。
主体的に勉強できる人が今より多かったかといわれればそういうわけではないと思いますが、自己破産まで行くくらい稼げない(稼がない)人はそこまで多くなかったと思います。
今より鬱病などの精神病が取り上げられてなかったので、病気という認識が薄く、軽度な場合は働いているうちに治ってしまうことも多かったのかもしれません。
これが自身の責任感の話と同義かはわかりませんが、少なくても社会から後ろ指をさされないように頑張るというのはあったと思います。
ただ、その後うまくいく人はやはり自ら何かしらの努力をしていた人がおおいんじゃないでしょうか。
個人で頑張る人はもしかすると今の時代の方が増えてるかもしれませんが、踏ん張ってまで働こうって人は減ってる印象です。
こういう部分も二極化してるかもしれませんね。
そこそこ以上の私立にいけば就職にそこまで困らんだろうが、そうでないFは非正規送り込まれて数百万の借金抱えるわけでしょ?
厳格化に伴って大学進学という固定観念が少しでも剥がれ落ちてくれればな
>>62
お返事ありがとうございます。
そう考えると、学校で何かを教えれば解決するというものでも無いようですね。
>>61
すみません補足です。
学生が自分の人生責任感を持つには、やはり自分を助けられるのは自分しかいないっていう認識が非常に大事だと思ってます。
あとは色んな事に興味をもち自分の頭で考えることですね。そうすれば自分の夢や目標が見えてきてそれに合わせたガイドラインを自分で考えていく事が出来ます。
今は軽視されがちですけどそういう目標を達成するには根性や我慢強さも必要になってきます。受験勉強もそういう要素を鍛えるのに重要なので受験勉強すること自体に意味がないことはなくて、大事な事だと思います。
ただ、その受験勉強の努力が学歴というものに囚われてその後疎かになってしまうならそれは本末転倒ですが。
採用担当が高学歴を好むのは、困難な受験に対するこの努力と我慢図良さ図太さを意識してると思います。
別に高学歴でなくてもこいつは成長するな、辛い立場になっても踏ん張れそうだなって感じたら採用される可能性はぐっと上がると思ってます。
おう発達障害で中退したわ
明確な目標を持って生きるって生まれてこのかた孤立と絶望しかない人間にとっては異星人の言葉だ
>>66
人には得て不得手がありますから社会生活に影響がないレベルなら自分が得意な分野の仕事を探すのがいいと思いますし、医師の診断で発達障害と判断されたら専門の人に相談しながらやっていく感じではないでしょうか。
自分がいっているのは一般論であってすべての人に当てはまる絶対論じゃないです。
何かしらんが上から目線の安価コメントが増えまくっててワロタ。得手不得手がありますからって、ニュアンスが住み分け推奨というよりも切り捨てる言い方に感じる。本当の下層を知らないだろ
>>65に対してだが、俺も>>66と同じように発達障害持ちで、さらに大学へは自身の能力や家庭のもろもろが低すぎて行けなかったクチの人間。
例えだが、キャラステのすべての能力値が上限3の人間と10の人間が居たとして、本人が必死こいてカンストさせたとしても>>30や後者の人間には努力不足に映る。社会は基本的に中庸を取るであろうから、就職進学なんかは5の人間を採用する。5の人間には力不足で、10の人間には役不足になる。
前者の低ステはレベルキャップ解放に人脈や経済力、コミュニケーションスキルとかの「普通の人間が普通に生きてきていればおのずと平均的に備わっているもの」を普通の人間以上に努力して入手しなければならない。スタートラインが違う。得手不得手っていうのはステ振りの問題であって、上記の話には該当しないと思うんだがどうだろう。コンプ刺激されまくって感情的な文章なので的外れなこと言ってたらすまん。
>>68
気に障ったようでしたらすみません。自分は働ける人は働いた方がいいと思いますのでこういう言い方をしてますが、病気や障害で普通の人とは同じ土俵に立てない人たちももちろんいると思いますので、そういう人たちの支援制度は拡充する方がいいと思ってます。
ただ、奨学金制度のように本来は大学に行くことは必須ではなく、希望者は資産を前借するわけですから、返せるように最大限の努力義務が発生します。
自分は発達障害については詳しくないですが、身体障碍などの障碍者は障碍者手帳を所持しており様々な特権や恩恵を受ける権利があります。これは健常者と同じ土俵では息苦しいための特別処置です。
勝者がいれば敗者がいる。強者がいれば弱者がいる。それが社会というものです。
そういう社会をうまく機能させるには経済活動を阻害しない程度の平等性と、あぶれてしまった人の救済が必要不可欠だと考えています。
不正受給で問題になりましたが、生活保護制度もそういう弱者が経済的に困窮した場合救う制度ですし、国民健康保険など生きていくのに必要なものは低所得者ほど優遇措置があります。
ただ大学のような最高学府は本来優秀で金銭的な余裕がある人が行くようなところです。今は大学が普遍化したためそういう認識は低いですけどね。
アメリカなどは大学の費用が高額で、生徒によっては学生ローンを組んでいきますが、日本の奨学金制度と違って高利子なので大学後の進路を間違えてしまうと一生かかってもローンを返しきれない事態に陥るそうです。
大学に入るための費用を稼ぐ、援助してもらうために兵役に就く人もたくさんいます。
皆がいい企業に入社できるわけではないので、損する人は必ず出てきます。右肩上がりの時代なんて日本の歴史のなかでも一瞬で例外パターンです。それに照らし合わせて妬むのはお門違いだと思います。
なので自分としては他人の境遇とか、能力の差を嘆くよりも、自分の出来る範囲で自分が出来ることをするべきだと思うのでこういう発言をしてます。