2010/05/27

6:44 pm

王子小劇場で劇団柿喰う客の「露出狂」を観てきた。
面白かったが手放しで褒める訳には行かないな、と感じた。
ほめたいのだけどほめすぎると良くないなと思うのだ。観ている最中はかなり面白い。
終わった後に何がしかの空気が残らないところにやや問題がある。ずしっと来ない。

何が問題かというと、人間が描かれていない、ので登場人物に思い入れができない。
どんな人なんだろうか、がわかって、その人の置かれている状況がわかり、
悩んだり怒ったり喜んで、
しかも、物語が始まったときより、その人およびその人たちの心情が何かしら動いて終わる、
その人の心の思いに自分の思いが乗り移る、
幕が下りるときにはその人の思いを共有している。
そういう劇の観方がぼくは良いと思っている、そこが欠けていた。

たぶん作・演出の人はそこ作っていないのは分かっていたように見える。
ラストシーン、これでいいの、このままでいいのか、と最後に残った3年生に執拗に問いかけさせ、
もう一度高校1年生の春に物語をループさせている。
陽は昇り、日はめぐる、かくして青春はいつも若者を通り過ぎてゆく、
みたいな終わり方をしているのだが、そこはかなり唐突だ。
劇中の疾走感、エネルギーの発散は非常にうまく行っている、
コントの連続としてみても上出来だ。
だけど、心を描くことに時間を割けなかったことに気がつき、
終幕に慌てて取って付けたように見える。
本来物語の作家は終幕をどう作るかに最もセンスが働くもの、
なのでこの舞台の作家にはストーリーテラーとしてのセンスはいまいちに見えた。

でも、この人は演出センスはとても在る。
役者を思いのままに操り、演じさせ、モチベーションをとことん高めるようにもっていく、
結果舞台上に一番必要だとぼくが思う熱気があふれる、そういう舞台になっていた。
なかなかそうはできない、そこは突破している。
俳優は懸命に状況の中の人物を演じている、感情表現もよく稽古されているのが分かる、
一瞬で表情も場の空気も変わる、状況は変化する、その切れ味はするどい。

美術のセンス、空間構成は特に抜群だろうと思う。
大道具には、方向性がなく、中心が無い。
役者を舞台上に残しておいて芝居を進行させる際、
役者をはかせるのではなく、そこにおいておきながら観客からは気にならないようにする、
方向も中心も無いから役どころの終わった役者がそこいらにいても、
アクティンググエリアをちょっとずらして他の役者で芝居は進行する、
そんなことを考え舞台上に実現させることは難しい、難易度でいえばEは行っている。

昔、押井守さんとあるアニメを企画していたときのことを思い出す。
彼がスタジオぬえのメカニックデザイナーに、
方向性と中心の無いメカを描いてくれと注文していたのを思い出した。
その企画ではできなかったけど、
後で、「攻殻機動隊GOST IN THE SHELL」を観たときに押井さんがやりたかったことがわかった、
空間を歪ませて登場人物に方向感を失わせる、
観客にもそのことで物語がどこに行くのかを喪失させている。
この舞台、違う表現だけど、そのくらい難しいことに挑戦しうまく出来上がっていた、すばらしい。

アフタートークでこの人がどんなことでもいい、
否定的なことでもいいから、ツイッターでもアンケートでも直接でも何でも言ってくれ、
反応がないとクリエイターは死んじゃう、と叫んでいたので、あえて、やや否定的なことを書いた。
シンプルに言えば面白いですよ、観て得をします。



6年前の観劇記の再掲です。
同タイトルの演劇の再演中とのこと、
今週に観に行こうと思ったので、前回に観た感想を思い出しておいて、
作・演出の人の進化の具合を吟味したいと思います。

もっと面白くなっているとハッピーだし、
劇場が格上げされ舞い上がってくだらない観客サービスに走っていたりしたら
お尻ぺんぺんかな。