2010/05/17

11:42 pm

帝国劇場でミュージカル「レベッカ」を観て来た。
すごいと思ったのは、涼風真世さんの圧倒的なチカラだった。
芝居も、歌も、舞台上のスガタ・カタチも、表情も、
何もかもがものすごいテンションに支えられ、一瞬の緩みもない。
人間を強く表現して行ったら、色っぽさが付いてきた、元々の涼風さんの色気が漂い出た、という風に見えた。
強い人間が持つもろさ、弱さが最後には伝わって来て正解な演技だったと思う。
こんなに気持ちの良い舞台上の俳優の技はめったに観れない。

涼風真世さんとは「るろうに剣心」で剣心役をお願いして以来のお付き合いになる。
あの時は、CDドラマで剣心役をある声優さんが演じているのは知っていたのだけど、
その人の演技が宝塚「風」の演技だったので、それだったら宝塚のトップの方にお願いしたほうが、
もっと剣心役に近いのではないかと考え、当時宝塚を退団したばかりの涼風さんにお願いした。
ご本人から剣心役演じてみたいと言われた後、CXプロデューサーから決め打ちはNOですよ、
オーディションで決めてください、と言われ、
涼風さんに宝塚のトップを務めた方には失礼かもしれないけど、
改めてオーディションを受けていただけないか、と打診したところ、はい、と返事があり、
早稲田にある大きなスタジオでオーディションを実施した。
涼風さんの剣心役のセリフを聞き、そのCXPが涼風さんにお願いしましょう、古橋監督、と言い、
古橋さんもそうですね、と答え、僕もその声と演技、これがほしかったので決定になった。

宝塚の大舞台、あの巨大な間口の大劇場、センターにピンで立ち、
2000人もの観客の視線を一手に引き受け、ソロで歌い踊り、語る。
そういう場に少女のころから立ち続けた俳優が持つ重さ、圧力、これは世の中のだれにもまねができない。
涼風さん、剣心役でもその圧力は生きていたし、今日の帝劇の舞台、改めて、すごいと思った。
失礼ながら、他の俳優とは断然違った。

大塚ちひろさんはまだまだ、小さい。
もっと場数を踏めば、歌も芝居も劇場の隅々まで届くようになるだろう、
かわいいし、十分に若さがあるし、好感は持てた。
でも声を語尾でしゃくりあげる癖とか、のど声とか、表現が軽く、人間が小さい。
歌もファルセットの部分が、歌詞が台詞ではなく、歌になってしまう、歌を歌ってはいけない。
ミュージカルの歌はウタではなく台詞でなくてはいけない。
歌をきれいに歌える力のあることは十分分かる、
強く気持ちを伝えるべきところで、台詞ではなく歌詞が聞こえ、役柄の気持ちを一瞬だけど忘れさせてしまう。

山口祐一郎さん、この人の芝居はよく理解できない。
いつものことだが、基本の姿勢が、後ろ重心、後ろに傾く姿勢なので、常に上から目線の芝居に思えてしまう。
役柄の気持ちとは離れ、心ここにあらずに見える。

それでも、舞台全体がすごいと思えるのは、涼風さんの熱演と、
このミュージカルを作ったウィーンの人たちの力だろう。
長くミュージカルはブロードウェイだった。
それがアンドリュウロイドウェーバーが登場し、
「ジーザスクライストスーパースター」「キャッツ」「エビ―タ」「オペラ座の怪人」「スターライトエクスプレス」を出し、
ロンドンウエストエンドものが世界を席巻した。
その嵐が消えたところに「エリザベート」が登場し、
「モーツァルト!」「マリー・アントワネット」と続きウィーンの時代になった。
たぶんウィーンでミュージカルを作っている人たちには、いま熱気が充満しているのだろう。
その空気が帝劇の舞台から僕には伝わってくる。
都市と時代に「旬」がある、というのが僕の意見だ。

楽屋で会った涼風さんに驚いた。
あの厳しい表情と熱演熱唱、さぞや疲れきっていると思っていたのに、
現れた涼風さんは、いつもの明るい、ちょっと幼げに見えるくるくる輝く目だま、
疲れなんてどこ、と言う表情だった。
声もとても元気でこの人のエネルギーどこから出てくるのだろう、
あんな、低く冷たい声、たくさんの長いソロ、つらくないはずが無い。
それをなにも感じさせないのが覚悟を決めた役者なんだ、と納得させられた。
偉い、頑張んなくては、と緊張が我が身に返って来た。