この記事はミルコ・クロコップ引退を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)



【1記事から買える関連記事】

・タイムトンネルからやってきたクロン・グレイシーという男のロマン

・ONEと修斗の業務提携ーーコンテスト感の復

・高田延彦RIZIN統括本部長の「迷走解説」問題

・川尻達也vs北岡悟が生きた時代……「やれんのか!」は「でも、やるんだよ!」である

・「今日もダメだけど、まあいいか」と諦める……みんなボブ・サップを抱えて生きているのだ

・【追悼KID】魔裟斗vs山本KID徳郁に見えた修斗四天王の輝き……



ミルコ・クロコップがいなければ、我々は総合格闘技を物語として楽しむことができなかったかもしれないんです。

もともと彼は生贄でした。MMAデビュー戦となった2001年8月19日K-1アンディメモリアル、伝説の藤田和之戦。なぜミルコが藤田和之の相手として選ばれたのか。ミルコは2ヵ月前にK-1 WORLD GPメルボルン大会の1回戦でマイケル・マクドナルドにKOされています。この年の大晦日には初めて格闘技興行が予定されており、その前哨戦としてアンディメモリアルで猪木軍vsK―13vs3対抗戦があった。大晦日にジェロム・レ・バンナとのマッチアップが期待されていた藤田の生贄として、ネームバリューがそこそこあり、K-1 WORLD GPを敗退していたミルコがリングに放り込まれたんです。

この藤田戦で奇跡の勝利を手にしたあとも、ミルコは生贄扱いでした。高田延彦、永田さん、ヴァンダレイ・シウバ、桜庭和志、藤田和之との再戦……ミルコは「倒されるべき相手」でしたが、世界最強を求めてK-1からPRIDEに戦場を移したことで、ミルコや格闘技界の流れが大きく変わります。あの移籍劇は、昭和・極真や猪木・新日本プロレス、UWFやグレイシーなどで争われてきた「最強幻想」がK-1からPRIDEに移った瞬間もあったんです。<会員ページへ続く>

いま入会すれば読める3月記事

「GSPの日本人スパーリングパートナー」が語る英雄の真実/葛西純がアメリカで吠える!「GCWのクソ野郎ども!お前ら日本に来たいのか?」/ジョルジュ・サンピエールが引退記者会見で語ったこと/西達彦アナウンサーが語る「格闘技実況」……