新生UWFメンバーのひとり冨宅飛駈15000字インタビュー。新生UWF、藤原組、パンクラスとUの世界を渡り歩いた冨宅が見たものとは?
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冨宅 いいんですかね、ボクなんかの話で。
冨宅 やっぱりボクらの世代は全員そうかもしれないですけど、初代タイガーマスクですね。佐山(聡)さん。最初は新日本に入ろうと思ってて。プロレスラーを目指して本を読んでスクワットをやってみたり、我流のトレーニングですよね。でも、結局新日本には履歴書は出してないんです。ボクが中3のときに初代タイガーマスクが引退して、高校になって旧UWFができて佐山さんも合流されて。入るんだったらUWFだろうと。
――佐山さんありきのUWF志望だったんですね。
冨宅 前田(日明)さんや高田(延彦)さん、藤原(喜明)さんとか好きな人がみんなUWFに移ったこともあったんですが、決定的だったのは佐山さんですね。
冨宅 自転車で30分ぐらいのレンタルビデオ屋に旧UWFのビデオがごそっと置いてあったんです。借りてみたらもう凄いなと。直感的に「このプロレスをやりたいな」って思いましたね。
――その旧UWFが活動停止をして前田さんたちは新日本に戻って。そして新生UWFが旗揚げするわけですね。
冨宅 第1回の入門テストを受けたけど、アカンかったんですよね。テストを受けに行ったら15~16人ぐらいいたんですけど、みんな身体がでかい人ばっかりで。「プロの世界は違うな……」って挫折しかけたんですけど、いざスクワットやダッシュが始まったらみんな脱落していくんですよ。最終的に残ったのがボクと田村さんの2人だけ。田村さんはボクの次の番号だったから隣でテストを受けてたんですよね。体格も同じくらいだったけど「コイツ凄いなあ……」と思いながら。
冨宅 最後までクリアしたのはボクと田村さんだけだから受かると思ったんですけどねぇ。あとから不合格の通知が届いて、しばらくして『週プロ』を読んだら新生UWF初の練習生ということで田村さんの写真が載っていたので「なんで俺はアカンのか」と。1年後にまたテストを受けて合格したんですけど。
――冨宅さんが落ちたのは、新生UWFの神社長のアドバイザーだったシンサックさんの奥さんの判断だったという話ですよね。
冨宅 ああ、高岡(左千子)さんですね(笑)。入門したあとに知らないオバちゃんから「あなた、デビューしたら名前変えた方がいいわよ。神社長にも言ってあるわ」っていきなり言われて。
――U系の選手が何人も改名したのは高岡さんの勧めらしいですね。
◎Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」
冨宅 いったい誰なのか知らなかったんですけど、ちょこちょこ道場に来るんですよ。みんなも普通にしゃべってるし。あとになって話を聞いたら1回目のテストのときボクの運気が悪かったみたいなんですよね(笑)。
――高岡さんが運気を見て新生UWFを動かしていたという。
冨宅 あのときは「この子はまた次もテストに来るから、そのとき取ったほうがいい」と高岡さんが言ってたらしいですね。ボクはそんなことは知らないですから高岡さんの言うとおり2回目のテストも当然受けて(笑)。
――高岡さんは神社長たちから厚く信頼されていたんですよね。
冨宅 当時は絶対的に信頼されてましたよね。試合の日程なんかは高岡さんが決めていたみたいなんで。あとで聞いたのは、有明コロシアムって当時は屋外だったじゃないですか。高岡さんは「この日は雨は降らないから大丈夫」ということで決めたら、前日は大雨で当日は晴れ。
―― UWF初の東京ドーム大会も「絶対に11月にキャンセルが出る」って会場を抑える前から予定に組んでいて、実際に本当にキャンセルが出て大会ができたみたいですね。
冨宅 そりゃあ言うことが次から次と当たったら信頼はしますよね。
――新弟子生活はどうだったんですか?
冨宅 入る前から基礎体力はしっかりやっていたので自信はあったんですけど、キツかったのは雑用とスパーリングですよね。こっちの先輩に何か言われてやっていると、違う先輩から「何をやってるんだ!」って怒られても言い訳ができないじゃないですか。
――当時新弟子は何人いたんですか?
冨宅 ボクが入った初日に5人いたんですよ。夕方に合宿所に入って翌朝練習が始まる前に2人夜逃げしちゃいましたね。その2人はボクが入る何週間前に合宿所には入ってたんですけど。残った2人が垣原(賢人)さんと長井(満也)さんです。
――冨宅さんはやめようと思ったことないんですか?
冨宅 一度もないですね。せっかく入れたのになんでやめるんだろうな?って。ボクのあとに3人入門したんですけど、何ヵ月かしたあとに突然いなくなったんですけど。昔は絶対に入れなかったから、もったいないなって。
―― UWFは基本的に月に1度の興行ですから毎日が練習と雑用の繰り返しですよね。
冨宅 毎日道場でしたね。もう本当に大変ですよ。誰かがシャワーを浴びたらタオルを持って行ったり、 プロテインを飲むときはその先輩用のものを作らないといけない。りんごジュースを混ぜないといけない先輩もいましたし。プロテインの粉がちょっとでもコップのフチにつくなんてことはダメなんですよ。
――プロテイン作りからして緊張感があるわけですね(笑)。一番厳しかった先輩は誰ですか?
冨宅 一番厳しかったのは宮戸(優光)さんと鈴木(みのる)さんですね。前田さんや上の人たちに粗相をするなよっていう感じで。田村さんが何か仕事をしていたら「オマエら田村にやらすんじゃない!」と怒られたり。雑用や給仕のことは宮戸さんに厳しく言われましたね。
――宮戸さんはちゃんこ作りも厳しそうですもんね。
冨宅 厳しいですねぇ。台所は奥にあるんですけど、ちゃんこの他におかずも作らないといけないじゃないですか。奥でおかずを作ってると宮戸さんが「ちゃんこ番、ちゃんと給仕をしろ!」と。給仕をやっていると「おい、おかずがないぞ!」と。
――ハハハハハハハ! 最近宮戸さんがジム内で「ちゃんこの台所」という飲食店を始めたんですけど。
冨宅 あ、そうなんですか(笑)。宮戸さんはホンマに食に関しては凄いですよね。
――合同練習はどういうスケジュールだったんですか?
冨宅 朝10時からで日曜日以外は毎日やってましたね。その合同練習のときの先輩たちとのスパーリングが本当にキツくて。人数が少なかったので1回やると最低30分。しかも一度極められたらスタンドで再開というわけじゃなく、その体勢のまま極められっぱなしですからね。やっと終わっても、人がおらんかったら他の先輩に「やるぞ」って言われたり。
冨宅 最初の頃は前田さん、高田さん、山崎さんも合同練習には来てましたけど、だんだんと回数は減っていって、半年経ったらほとんど来なくなりましたね。藤原さんは最初からほとんど来てませんでした。一度来られたときに、ボクは昔から藤原さんに練習をしてもらうことを憧れていたので「お願いします!」と一番最初に行って。あのときの新弟子で藤原さんとスパーリングをやったのはボクだけだと思いますね。
――その当時の藤原さんはキックボクシングジムで練習していたそうですね。
冨宅 UWFの道場には3回ぐらいしか来てなかったと思いますね。3回とも全部ボクが一番最初にスパーリングをお願いしてましたから。
――先輩方が道場に来なくなるきっかけってあったんですか?
冨宅 うーん、取材があったり忙しかったり、他で練習してるのかなと漠然とは思ってましたけど。
――道場は船木さんや鈴木さん若手中心に回っていたので入りづらかったという話も……。
冨宅 そこに宮戸さんや安生さんが加わった4人ですよね。船木さんは昼だけじゃなくて夜も練習に来てました。その練習にも付き合ったりして。
――中野(龍雄)さんは誰もない夜の道場に来るという話でしたよね。
冨宅 中野さんは他の人がいないときを見計らってきてましたね。「いまから行くから」って連絡があって練習に付き合ったり。ボクらが帰ったあとにも来ていたみたいで。翌朝道場に行くとトレーニングをしていた形跡があるんですよね。「あ、中野さんがいたんだな」って(笑)。あと家に呼び出されることもありましたね。
――中野さん、昔は狛江に住んでましたよね。
冨宅 よく知ってますね(笑)。ボクは首押しするために呼ばれたことがあるんですよ。
冨宅 デビューしてから前田さんにはメシなんかにも誘われたりしましたね。あとはちょこちょこと小遣いをもらったりとか。
――そのうち新生UWFは雲行きが怪しくなってるじゃないですか。
冨宅 前田さん、高田さん、山崎さんと、船木さんら若手のあいだになんとなく溝ができてるなあという感じはあったんですね。会場でもヨソヨソしい感じで。そうこうしてるうちに前田さんが神社長たちが会社の金を横領しているってことで選手を道場に集めて。
――冨宅さんも出席されたんですか?
冨宅 そうですね。前田さんが弁護士を呼んできて、事務所を新しく変えて……という話し合いをしましたね。その弁護士に仕事を依頼するということで署名をした記憶があります。
――神社長から選手たちに説明はあったんですか?
冨宅 ボクらはちゃんこ番だったので経費の精算や選手の用事を頼まれて事務所に行くこともあったんですよ。事務所の人たちもいままでどおりに接してくれていたし、神社長も「前田さんはああ言ってるけども何も心配しなくていいから」と。実際どうなってるのかはわからなかったですし、道場で船木さんや宮戸さんが話をしてるのをなんとなく聞こえるぐらいで。
――船木さんたちは道場でどんな話をしてたんですか?
冨宅 まあ、いまだから言えますけど悪口ばっかりですよね、上の人たちの(笑)。
――なるほどお(笑)。
冨宅 高田さんに対してはそうでもなかったですね。 前田さんが多かったですよね。ぶっちゃけ悪口ばっかりですよね(笑)。
――そこは道場で一緒に練習していれば埋まった溝だったりするんですかね?
冨宅 そこもあったと思うんですけど……。
――踏み込んだ話になっちゃいますけど、船木さんたちは後年になって総合格闘技に踏み出すじゃないですか。前田さんが仕切る新生UWFにはその気配がなかったことのストレスもあったりしたんで?
冨宅 たぶん船木さんにはあったんじゃないですかね。そのときはわからなかったですけど、船木さんのやりたいことや考え方からすると、そうなんやろうなと想像はできますね。鈴木さんは船木さんほどガチガチというわけじゃないですけど、そっち寄りでしたし。
――若い時期にみんなで集まって腕を磨いていたら、実際にやってみたくなりますし、練習に来ない先輩には不信感は出てきますよね。
冨宅 まあ、そうですよね。
――若手たちは神社長にそれほど不信感を抱いていなかったっていう話も聞きますよね。
冨宅 そうですね。社長の悪口を言うことはなかったですよね。
――前田さんの悪口は出てくるけど。
冨宅 「前田さんがああいう風に言ってるけど、実際はどうなんだろうな」っていう話はあったかもしれないですけど、会社が100%悪いという感じででないですね。これは神社長がボクや船木さんにも言ってたんですけど、「これからは身体が大きくない人が格闘技をやる時代だからアマチュアや底辺を広げていく」と。デビューしたばかりのボクにそういうことを言ってましたからね。そのときは「そうなんですか」って感じだったんですけど、何十年か経ってたら実際に神社長が言うとおりにはなってるので。
――会社批判を展開した前田さんは無期限出場停止処分を受けましたが、新生UWF最後の大会となった松本大会で選手たちが前田さんをリングに呼び込み全員でバンザイしました。若手はフロントと縁を切って前田さんたちと 一緒にやっていきますというアピールでしたが、実際は直前まで選手たちはまとまってなかったという話もありますよね。
冨宅 その前から宮戸さんが仕切って道場で話をしてたんですよ。ボクが覚えてるのは宮戸さんが「前田さんをこっそり呼んでアピールしましょう」と船木さんや鈴木さんに話をしていたことですね。そのときは事務所に不信感が強かったのか、それとも前田さんがおらんとやっていけないということなのか……どうかはわからないですけども。
――そうして全選手契約解除になって第三次UWFの立ち上げに向かうわけですね。
冨宅 あのあともボクは事務所には顔を出してたんですよね。全然普通の対応でしたよ。神社長も「こういうかたちになったけど、気をつけて頑張って」と声をかけられて。
――松本大会以降、選手とフロントが話し合った機会はあったんですか?
冨宅 ボクはなかったですね。松本大会以降は前田さんが弁護士を連れてきて話し合いが頻繁にあったんです。新しくやっていくということでけっこうな数のミーティングはやってましたよ。新しい事務所はその弁護士さんのスタッフが運営していくということで。そして年明けてから前田さんの家に選手だけが集まって……。
――その場で決裂したわけですよね。そこまでミーティングをやったからには話自体は固まってないとおかしいですよね。
冨宅 そうですね。
――新団体はちょっと無理なんじゃないかという雰囲気はなかったんですか?
冨宅 そういう感じはなかったですよね。ホンマにもう毎日に近いぐらい集まってましたから。
――どんな話をするんですか?
冨宅 それが全然覚えてないんですよね(苦笑)。これからの話だったと思うんですけど、まあまあ話し合いはよくやってましたよ。
――じゃあ、前田さんの家で安生さんと宮戸さんの2人が異を唱えたことには、この期に及んで……ということでビックリされたんじゃないですか?
冨宅 「どういうことなんだろう?」って驚きましたね。あの日は船木さんの車で前田さんの家に着いたら、前田さんと高田さんの2人が先に座ってて雰囲気がいつもと違うというか。「おつかれさまです!」と挨拶しても「……おう」と暗い感じで。<15000字インタビューはまだまだ続く……>
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コメント
コメントを書くいい記事でした!
前田が合宿所のドアを開けた瞬間に土下座の件は初耳。
くいしんぼう仮面のブログのインタビューの焼き直しみたいな内容ですね、、、
あとはやっぱり前田と高田の和解だよなぁ。
それが実現すれば、UWFという物語がようやく終わると思う。
やっぱりUWFは特別やな。凄い物語今まで見せて貰ったけど、最終話は前田と高田の和解で!
一連のUインタビューをまとめて書籍化してほしいなあ
読みごたえがあった !!
やはり当事者の話が一番おもしろい。
冨宅選手のことは地味で目立たない優等生な印象でしたが
やはりあの時代の当事者が話す裏話は面白いです!
元パン・元リン選手の話をシリーズ化希望いたします。