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この記事は「明日からまた生きるぞ!」(船木誠勝)を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)
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パンクラスの瀧澤謙太選手が修斗との対抗戦に勝って「明日からまた生きるぞ!」とマイクしました。この試合を放送したAbemaTVのコメント欄には「北岡悟の真似だ」みたいな書き込みがされていたとか。以前にもこのセリフが北岡選手のオリジナルだと思いこんでる方がいたりして、たしかに現在では北岡選手をイメージするものになっていますが、もともとはパンクラス創始者・船木誠勝さんが発した言葉なんです。
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・【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか?」
・『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」
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・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光
・『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル
パンクラスの瀧澤謙太選手が修斗との対抗戦に勝って「明日からまた生きるぞ!」とマイクしました。この試合を放送したAbemaTVのコメント欄には「北岡悟の真似だ」みたいな書き込みがされていたとか。以前にもこのセリフが北岡選手のオリジナルだと思いこんでる方がいたりして、たしかに現在では北岡選手をイメージするものになっていますが、もともとはパンクラス創始者・船木誠勝さんが発した言葉なんです。
なぜ船木誠勝は「明日からまた生きるぞ!」とマイクしたのか。なぜいまは北岡悟のものだと言えるのかを解説していきます。北岡選手には「違います!」と言われるかもしれませんが(笑)。
そもそもUWF系で初めて完全実力主義体制を敷いたのが1993年に旗揚げをしたパンクラスなんです。それまでもU系の中で真剣勝負の試合はときおり行なわれていたんですが、全試合やるようになったのはパンクラスが一番最初で。 予定調和の世界ではないから「明日からまた生きるぞ!」のマイクは生まれたと言えます。
パンクラスは完全実力主義だったこともあり、エースの船木選手はベルトが制定された王座決定トーナメントに敗れてチャンピオンに就けませんでした。しかし、連勝を重ねたことで1996年に当時チャンピオンだったバス・ルッテンに挑戦する機会が訪れます。
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コメント
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名言シリーズいいですね。
このシリーズが今の格闘技ライト層に届いたらもっと格闘技に興味を持ってもらえるはず。
このシリーズめっちゃ良い!
シリーズ化(笑)
しみじみとたまらないエピソードですね。
いいお話をありがとうございました!