7652c86618f6b7ee9e3b8112784b579b88454187
先日お亡くなりになったケンドー・ナガサキこと桜田一男さん。突然の出来事にいまだに情報は錯綜しているが、桜田さんの親族の方とコンタクトできた男がいた……
大日本プロレスの谷口裕一。ケンドー・ナガサキの弟子が語るNOW時代や小田原ちゃんこ時代、そして晩年の桜田さんの姿とは?





――
今回はケンドー・ナガサキさんの弟子である谷口さんに、桜田一男さんを振り返っていただきます。

谷口
 よろしくお願いします。自分がプロレスラーになれたのは桜田さんのおかげだし、大日本プロレスに入れたのも桜田さんのおかげなんです。初めて桜田さんに会ったのは15、16歳の頃なので「親父」という感覚なんですよ。みんな桜田さんのことを「おっかない」と言うんですけど、自分には凄く優しかったんですよね。もちろんプロレスラーのケンドー・ナガサキは怖かったんですけど、自分の前では桜田一男の素の部分を見せてくれたと思うんですね、いま振り返れば。

――
今回桜田さんがお亡くなりになったのは、どういうかたちで知らされたんですか?

谷口
 1月12日の昼にアブドーラ小林選手から「桜田さんが亡くなったという話だけど……」と聞いたんです。最初はウソだと思ったし、じつは桜田さんとは1月中にメシを食いに行く約束をしてたんです。桜田さんとは12月13日に会ったときに「落ち着いたら連絡をしてこい」と。

――
12月に会ったときはどんな用事だったんですか?

谷口
 大日本プロレスのデスマッチの歴史を振り返るという企画で桜田さんを取材することになったんです。12月18日の横浜文体でそのときの映像を流したんですけど。

――
桜田さんは大日本プロレスのエースでしたもんね。最近は大日本と関係が途絶えてましたけど……。

谷口
 自分は桜田さんとちょこちょこ会ってはいたんですよ。桜田さんは潮干狩りに凝っていて、連絡があって一緒に潮干狩りをやってました。桜田さんは潮が満ちているときに掘ってましたからね(笑)。

――
ハハハハハハハ!

谷口
 それで縁を取り持ったというか、 桜田さんに取材する機会を作っていただいて。その取材が終わったあとに大日本の若手メンバーとご飯を食べたんです。桜田さんも楽しかったみたいで「1月にまたメシに行こう」という話をしていた矢先のことだったので…… いまだに実感がないんですよね。

――
桜田さんの訃報は先にSNSなんかで流れたあとにニュースサイトで扱われていますが、どこも詳細は明らかにされてないんですね。

谷口
 自分のところにも亡くなったらしいという情報しか入ってこなくて。桜田さんの妹さんが北海道に住んでいるとは聞いていたし、ダラスに前の奥さんと息子さんが住んでいることも知っていますが、コンタクトの取りようがないんですよ。亡くなったことの確認だけは取れたので、1月13日に大日本プロレス後楽園大会でテンカウントゴングをやらせていただいたんですけど。それでも自分は誤報であってほしいと思ったし、どうしても信じられなかったので後その大会が終わったあとに千葉県の桜田さんのアパートまで行ってみたんです。

――
ご自宅に行かれたんですね。

谷口
 はい。桜田さんに会えなくても状況は知りたかったので車で向かったんですよ。そうしたら桜田さんの部屋の電気が付いてたので誤報だったのか……と思ったら、部屋にいたのは北海道の親族の方で。 そこで親族の方といろいろと話をさせていただいたんです。桜田さんの死因は心臓のペースメーカーの故障という話も出てたじゃないですか。親族の方に単刀直入に聞いてみたんです。そうしたら「それは違います」と。

――あ、そうなんですか!

谷口 たしかに桜田さんは心臓のペースメーカーの手術は受けていました。それはかなり高性能のもので、 桜田さんがちょっと転んだりするだけで病院に警報が入るようになってたんです。今回も桜田さんが倒れたという警報が病院に入ったので、病院から桜田さんに連絡を取ったが応答がない。それですぐに警察が部屋にかけつけたんです。

――
どのような状況だったんですか?

谷口
 親族の方が言うには、桜田さんはリビングのソファで倒れられていたと。親族の方も北海道から出てきて高齢。ペースメーカーの故障というニュースを訂正するために動くつもりはなかったそうなんですけど、「こっちに迷惑がかからなければ、この話をしてもいいですよ」と。

――
一般の方ですからマスコミに連絡したりするのは一苦労ですもんね。 

谷口
 亡くなったのも12日とされてますが、親族の方に確認をしたところ11日21時16分と教えていただきました。

――
その日、桜田さんはどなたかの誕生会に出られてたんですよね。

谷口 親族の方が言うには19時過ぎに家に帰ってこられて、そのあと何件か電話をかけた形跡はあったそうなんです。警察が部屋に入ったのは20時半頃だったんですけど。桜田さんは一人暮らしでしたから、ペースメーカーの警報があったことで発見が早かったということなんです。

――
もしかしたら発見が遅れていた可能性があったんですね。

谷口
 親族の方に「桜田さんに会わせてください」とお願いしたんですが、ご遺体の方はセレモニーホールで預けてあって「家族葬で済ませますので、静かに見守っていてください」と。親族の方は北海道から来られてバタバタしていたこともあったみたいなので。 自分は大日本の後楽園が昼間の大会だったので、たまたま親族の方に会えましたけど、ちょっと時間がずれていたら、こういった情報を聞くことも叶わなかったたかもしれません。

――
桜田さんがいたからこそプロレスラーになれた谷口さんが、こうやって真実に触れる機会があったのは運命的なものを感じますね。

谷口
 本心は誤報であってほしかったですけど、桜田さんが宿題をくれた。「もう1回会いに来いよ」ということだったのかもしれないですね。

――
谷口さんが桜田さんと知り合ったのはどんなきっかけなんですか?
この続きと、追悼ケンドー・ナガサキ、暗黒・新日本、亀田vsJBC、井上直樹、平田樹………などの2月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「11万字・記事22本の詰め合わせセット」はコチラ 

https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1871460

この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!