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「プロレスをやめたら、俺には何も残らない」……デスマッチファイターが引退を選んだ理由とは
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「プロレスをやめたら、俺には何も残らない」……デスマッチファイターが引退を選んだ理由とは

2020-12-03 10:37
  • 3
アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは「プロレスをやめたら、俺には何も残らない」……デスマッチファイターが引退を選んだ理由とはです!


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ドラァグクイーンの息子を絶対に認めない父親ギャングレスラー



デスマッチ新世代を牽引してきたマット・トレモントが引退を決意したのは、今年の5月31日に親友だったプロレスラー、ダニー・ハボックが天国へ旅立ってしまったからだ。トレモントはその悲しい事実を受け入れることができず、自らもリングを去ることを決めた。

マット・トレモントは、1989年3月9日にニュージャージー州アトランティックシティで生まれる。現在31歳と引退するにはまだ早い年齢だ。子供の頃から、ECWやCZW、そして、FMWなどのハードコアなプロレスが大好きだった。2007年にプロレスデビューし、2011年2月に初めて出たデスマッチトーナメントで、のちに親友となるダニー・ハボックと対戦。雪崩式ブレーンバスターでショッピングカートに叩きつけられ、デスマッチの洗礼を浴びた。

その頃、それまでデスマッチ界の中心にいたザンディグやワイフビーター、JCベイリー、ブレインダメージ、ニック・ゲイジらが、引退や自殺、投獄と表舞台から姿を消してしまった。アメリカデスマッチの勢いが急降下していく危機的状況の中、トレモントは次世代レスラーたちと共に、デスマッチ新時代を先導していく。

2012年から2014年にかけては、当時アメリカ4大デスマッチトーナメントと呼ばれた大会を次々と制覇。米デスマッチ復興の旗手として、誰よりも多くの血を流し、誰よりもハードなバンプをとった。米デスマッチの灯火を消すことなく、さらなる高い次元へと昇華させたことから、若いながらもレジェンドと称され、崇められてきた。

しかし、その過激なデスマッチをし続けた代償は大きく、背中、膝、臀部、頭部など身体のあらゆる箇所を負傷。その痛みも、傷も癒えぬまま、デスマッチを続けていた。事実、今年2月に来日した際も、試合の際にはおくびには出さないものの、試合後は歩くのもやっとで、立っているのですら、つらそうな表情を見せていた。

そんな満身創痍のトレモントを支えてきたのが、愛する妻クリッシー、そして、共に米デスマッチ復興のため戦ってきたダニー・ハボックだった。

そのハボックが目の前から消えてしまった。茫然自失、心身ともに傷つき、途方に暮れる日々が続くトレモントは、自らも一線を退くことを決意する。
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凄く良い記事でした

No.1 48ヶ月前


最後に大仁田は要らないけど、それまでの文章は最高でした

No.2 48ヶ月前

>>2
僕は最後の大仁田のメッセージも素晴らしいと思いました。

No.3 48ヶ月前
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