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かつて『紙のプロレス』誌上で
毎月のようにマット界内外の時事ネタを評論してもらっていた、音楽家にして文筆家の菊地成孔氏インタビュー。今回はYouTubeをテーマに話を伺った(聞き手/ジャン斉藤)



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プロレスラー、SNS、リアリティショー……この3つを背負うのは重すぎる■菊地成孔

菊地 大晦日のRIZINは見てますよ。

――あ、そうなんですか。YouTuberとしても名を馳せている朝倉兄弟をはじめ、格闘技とYouTubeの親和性が語られているので菊地さんにもお話をうかがいたいなと。

菊地 いままで斉藤さんとお話しするときは、斉藤さんから投げられたことに対して話の備蓄がある状態で臨んでいたんですけど。今回は丸腰というか、手ぶらというか。

――備蓄がないわけですか(笑)。

菊地 (笑)まったくないというわけではないんですが、 シバターさんのYouTubeを見たこともありませんし。YouTubeで起こる現象がどういう意味合いを持つかはある程度予測はできますが、 それにしてもあまりにも備蓄量が少なすぎるので「よくわからない」とするのが一番誠実な答えなのかもしれないし。えーとまずは、基本的にボクはYouTube をできたときからずっと愛用しています。音楽用に。

――音楽とYouTube は切っても切り離せない関係ではありますよね。

菊地 ボクのネットライフを細かく説明してもあまり意味はないんですが、ボクはSNSはやってないですけど、格闘技系のブログなんかはたまに読んでいたりします。インターネットって誰がどういう風に使ってるのかなんてわかりにくいじゃないですか。 ボクはYouTube を音楽用にしか使ってないし、格闘技とかヒップホップ系、ジャズ系の情報は検索して探しますけど。 ツイッターもエゴサをするだけで使ってないですね。

――基本的に情報収集ツールとしての使用ですね。

菊地 かなり限られた情報ですけどね(笑)。いわゆる音楽配信用でSpotifyや iTunes は一切やってないので YouTube頼りなんですよ。 YouTubeというのは過去音源と新譜に強いんです。出たばっかりの曲はすぐにYouTubeに上がる。 不法の場合もあるんですけどね。音楽は常日頃からやたら聞いてるのでYouTube が立ち上がった頃から音楽を聴く道具として使っていますね。

――YouTubeが立ち上がったのは2005年になりますね。

菊地 その頃から愛用はしてるんですけども、パソコンを買ってもメーリングソフトしか使わないような感じで、YouTubeの他の機能はまったく使ってない。 あるときYouTuberという職業が出てきたこともあまりよくわかってなかったんですよ。

――現象そのものは把握できてなかった。

菊地 それがたとえば、フワちゃんちゃんみたいにゼロからYouTuberとして立ち上がって、国民的人気を勝ち得たパターンもあるし。逆に芸人さんが地上波では仕事がなくなったけど、YouTuberとして頑張っているというパターンもあったり。もちろん朝倉兄弟がYouTuberとして会員登録者が多いことも知ってますし、逆にいうと、YouTuberの番組を唯一見るのは朝倉兄弟ですね。

――唯一チェックするは朝倉兄弟ですか。

菊地  朝倉兄弟が鬼越トマホークに喧嘩指南している回とかは何度も見てます(笑)。めちゃくちゃウォッチャーじゃないですけど、「朝倉兄弟は何をやってるんだろうな?」と思いたって見てみたりとか。

――YouTubeって当初はアングラ感が漂うところで、違法動画がアップされていたのにだいぶ様変わりしましたね。

菊地 まあ、なんでも、登場時からは様変わりしますよね。ツイッターでいえば日本で立ち上がったときに斉藤さんからインタビューを受けてますけど、 「ツイッターは絶対に荒れるに決まってる」と言ったんですね。

――信じられないですけど、ツイッターは荒れないSNS として登場したんですよね。

菊地 国際法でも国内法でもツイッターは裁けないんだから、絶対に無法状態になるに決まっていて。しかもそんな無法なものを世界各国の国民が手にするという危険な状態です。 予想どおり荒れなんて通り越して。「万人の万人に対する闘争」とはトマス・ボッブスの言説ですけども、ツイッター利用者にとって全員が敵というのがツイッターで。

――ああ、そんな雰囲気がありますね(笑)。

菊地 SNSではどれだけ戦っても絶対的な勝利を手にすることはできないし、敗北感しかない。 SNSで勝利したことは誰にも実感できないし、勝ったつもりになってもすぐ負けたりする。屈辱を増幅させるだけの装置なので。

――触ってるだけで屈辱を浴びる装置……。

菊地  まあ、賭博とちょっと似てますね。勝ち逃げの人はいないと。だから触ってるだけでおかしくなるだろうと思いました。一方でこれはなんにでも言えることなんですけど、 不法で始まったもので大流行したものは必ず合法性に向かうしかないんです。 ある日、一気に合法化するのか、 じわじわと舵を切っていって何年か経って気が付いたら合法になっているのかはわからないですけど、YouTubeがいずれ合法性に向かうということはわかってました。最初の頃のYouTubeって酷かったですからね。スナップ動画や猫を殺す動画がアップしていたり、けっこう死人が出てるんですよ。ムチャ食いしたり、微妙に高いところから飛び降りたり。当然これは合法性に持っていかないといけなくなるし、 ツイッターや YouTuberであれ、無法の荒野からひとつのメディアである顔つきを求められますから。地下プロレスがすごい売れたら、格闘技に変わっていくという運動とまったく変わらないわけです。 

――ツイッターも「つぶやき」の場から「主張」の場に変わっていて。

菊地 ボク自身は運営してませんけど、一応YouTubeのチャンネルはやってますが、いまだにYouTuberがどういう仕組みで儲かっているのかはよくわからないんです。広告収入なのかなアレは?いずれにせよYouTuberという職業ができて、既存のメディアに自分の立ち位置がなかった人たちが利益も得ることができて、名前を聞いたことがない人たちが日本武道館を満員にしたりしている現状はあって。

――よく知らない有名YouTuberがホントにたくさんいますね。

菊地 朝倉兄弟に関しては彼らがYouTubeを開設して人気が出る前から、格闘家としての地位はそれなりにあったと思うんです。THE OUTSIDERのチャンピオンというのがどれくらいの地位があるのかはわからないですけど。とはいえボクが朝倉兄弟がヤバいと聞いた頃は、まだYouTube チャンネルをやってなかったので。

――菊地さんがTHE OUTSIDERを頻繁に見ていた頃、朝倉兄弟はまだ登場していなかったんですよね。 

菊地 ボクはTHE OUTSIDERに熱心に通っていたことで、途中からは広告塔みたいな感じになって VIP 席を招待されたりもしたんですよ。 そのうち行かなくなって、しばらくしたら当時お世話になっていたリングスの広報の方から「朝倉兄弟というすごい奴が出てきたからぜひ見に来てください」と連絡をいただいて。 ボクはリングス再興には興味はあったんですけど 、THE OUTSIDERをもう一度盛り上げるスターが出てきたのか、というくらいの受け止め方で「わざわざ見に行かなくてもいいかな」と思って直感でスルーしちゃったんですよ。その兄弟がオーバーグラウンダーになったら見ようと。あのとき初々しい朝倉兄弟を見に行っていたら、いまとはまた違った見方を持っていたと思いましたけど。ボクの中では朝倉兄弟というのは、ゼロから立ち上げたフワちゃんケースや、また仕事がなくなった芸人さんがYouTuberとして頑張ってますというケースと違ってて。特定のジャンルで名を成した人が YouTube をやったらそれそれはたくさん登録者数が増えるでしょう、というかたちです。

――芸能人・有名人のYouTubeがその場合ですね。

菊地 キングコングの西野さんがタレントとしてある程度うまくいって、 オンライン上でも事業を拡大する感じですよね。シバターさんという人はよく知らないので、どういうタイプなのかはわからないです。

――フワちゃん型といえばフワちゃん型ですね。 アマチュア格闘家ではあったんですけど、それよりも先にYouTuberとして名を馳せていったという。

菊地 それは「電話一本でFMWを立ち上げた」っていう大仁田厚のキラーフレーズそのものじゃないですか。

――「大仁田厚=シバター」(笑)。

菊地 YouTubeというのは新しいメディアの側面もありますけども、アンダーグラウンドとして始めたらすごくうまくいっちゃってオーバーグラウンドになるものなんてありふれてるじゃないですか。最近のJ-POPなんて、レコード会社がイチから育てた人なんていないですよね。自己発信をメジャーカンパニーが買い取ってゆく。逆コースもありますね。音楽でいえば、Charさんがオーバーグラウンドで成功したけど、その場所は息苦しいから、自分のレーベルを持って何十年もそこに閉じこもっているというかたちもあります。こんなふうに誰でも個人メディアが持つ、なんてことはなかったことなので、 そこはYouTubeの新しいところでしょうね。

――誰でもやれてしまうという。

菊地 ボクもYouTubeをもっと個人的なものとして始めた場合、機材を買って、スタッフを集めて、本業の音楽と関係のなくいろんなことを喋ったり、鍋を食べてるとこを見せたりして(笑)、 それが面白くて人気が出る可能性もあるし、意外と伸びない可能性もありますよね。その場合、ボクは文筆家・音楽家としてある程度は知名度のある人間が YouTubeを始めたというケースになりますよね。それは朝倉兄弟と同じかたちだと思うし、 シバターさんは朝倉兄弟よりもYouTuberとして純化されてるというか、ほぼほぼ何もないとこから立ち上がってRIZIN出場までこぎつけたってことでしょう。

――長州力との有刺鉄線電流爆破デスマッチを実現させた大仁田厚そのものですね。

菊地  シバターさんは格闘家としてはいまひとつプロフェッショナルには見えなかったです。ただしプロフェッショナリズムとアマチュアリズムは本当に微妙な話で。音楽なんかは格闘よりはるかに敷居が低いんですけど。米津玄師さんがニコニコ動画からのし上がってこられたということは情報としては知ってましたけど、実感としては全然ないわけです。ボクはSNS をやらないという立場によって、情報貧者あるいはアウトモードとでも言いましょうか。老害、古くてダメな人になるリスクと、あるいは SNS をやらないことによって精神は正常に保たれるという担保をかけていて。そこに何らかのクリエイティヴィティが生まれるか、人体実験してるところですね(笑)。まあ、SNSやらないと昔のモンばっかり見るようになる。とは思いましたが(笑)。

――やってもやらなくても何かしら弊害はあると。

菊地 厳密にいえば YouTube は、ほぼほぼ毎日見てるので、触ってないわけじゃないです。リコメンド機能がつき始めた季節も知っているし、広告がやたら差し込まれるようになった季節も知ってますけど、とくに気にせずにいて。いつのまにかアンダーグラウンドメディアがオーバーグラウンドメディアに移行してお金が回るようになったんだなあと。「これはいったいどういうことなのか」と深く考えて追いかけたことはないんですけど、ざっくりした話にはなりますけど、まったくゼロから立ち上げやすいものだと。 戦後のどさくさみたいな感じですよね。

――闇市としての勢いはありますね。 

菊地 80年代には海賊放送(違法ラジオ)とか個人が発信できるものはあったし、インディーレーベルでもファン会報誌を作ってましたけど、活版印刷みたいなものになるからオーバーグラウンドとのクオリティの落差は明らかだったわけですよ。でも、SNS は有名人も一般人も言説は並列して並べられますからね。画面上ではオーバーグラウンドと同じ枠に並べられますから。

――話を戻すと、音楽でもプロとアマの境界線は曖昧になってるんですか?

菊地 音楽も学校で学ばなくても、自分で勉強すれば ポピュラーミュージックぐらいだったらできるんですよ。打ち込みの機材も発達してるし、誰でも発信できるようになったので「あの人はアマチュア」「あの人はプロ」という審級がわかりづらいんです。売り上げなんかの結果でしか区別つかないとなると、 さっきも言ったように誰も知らない人たちが武道館を埋めて、それが誰も知らないという社会の中に我々は生きていますからね。判別は不可能です。

――プロとアマの境界線を曖昧にさせる環境がYouTubeにはあるわけですね。

菊地 まあ、YouTubeだけではなく、インターネット自体の属性ですけどね、旧来的なプロとアマの差をなくすのは。ただ、YouTube には音楽の教則動画がたくさんあるんですよ。「歌ってみた」とかじゃなくて、 しっかりと教則しますという動画が驚くべき数上がっていて。ちゃんと練習すればピアニストぐらいになれるような通信教育としての側面があるんです。客の奪い合いとは言わないですけど、 ボクに音楽を教わる場合は新宿に直接来られる人だけが対象になるから、地方の人はちょっと無理じゃないですか。

――YouTubeならいつでも、どこでも学べますね。

菊地 それにゼロから教えるんじゃなくて、一足飛びに流行りの技を教えます。こないだの大晦日でいえば、堀口恭司選手のカーフキックですよね。

――ローキックの基礎を学ぶ前にカーフから。でも、それがYouTubeっぽくありますね……。

菊地 ボクもグローブとミット一応持ってるんですけど(笑)、さすがにこの歳になると足が上がらないのでボクシング専門で、ストレートやフックの練習をお楽しみでやるぐらいはしてるんですけど。 YouTube でものすごく練習すればカーフキックをおぼえるかもしれない。一時期言われていたことですけど、通信教育ですべてできるから大学や専門学校はもういらないと。現在は実態の学校が通信教育もやるという二段構えにはなってるんですけど、学校すらなく通信教育だけやれる。しかもゼロから丁寧に教わるんじゃなくて、流行りのリズムやコード進行を教えましょうと。最先端の技だけパッと身につけることができて、それで音楽家のプレイヤーになっちゃってる人が多いんですよ。ネットですべてを学んだというタイプ音楽家。 なので当然ネットですべてを学ぶ格闘家が出てきてもおかしくはないわけですよね。

――いまの日本格闘技界はYouTube効果もあいまって、史上最大の技術解析ブームではありますね。

菊地 分析の時代ですよ。 この選手の腰の動き方がヤバいとか、 筋肉解剖学的な見方も、見慣れたマニアだったら誰でもするようにはなるだろうなとは思ってます。ボクがポピュラーミュージックの分析を始めたときに「夢がなくなる」とか大バッシングを受けました。それでも、こんなバッシングは一時的なモンだと、一貫して分析は行なってますけど、音楽もある程度、分析できるんです。分析できるんですけど、すべて解明できるわけじゃなくて「ここは魔法だよね」っていう領域が存在するんですね。

――分析しきれない魔法の領域があるっていいですね。

菊地 分析を始めたときによく言っていたのは、日本人がルールを知らずにアメリカンフットボールを見ても、それなりに面白く楽しめる。ヘタしたら相撲ですら決まり手がわからずに楽しめる。それならば、わかったうえで見たらもっと楽しいんじゃないの?と。どんなスポーツ中継にも解説者がいるわけだから、ジャズの演奏にも解説者がいてしかるべきだという話をしてたんですけど。音楽にロマンチシズムを求める人は、格闘技にそれを求める人よりもはるかに多くて。

――それは意外ですね。音楽の分析なんかしてくれるな、と。

菊地 音楽はロマンチックですからね。一方、格闘技はスキルフルですから。 音楽も本当はスキルフルなんだけど(笑)。音楽も過去の批評家たちはロマンティックな言葉でしか語ってこなかったから、アナリティックな解説は必要なかったんです。音楽でも分析があたりまえにはなってきてるんですが、格闘技には及ばない。一部好事家ががやって面白がられる程度ですが、分析をやり続けてきたことで、ある程度は一般化はしたんじゃないかな。 ボクがパイオニアだとかオリジネーターとは言わないですけどね。格闘技もロマンティックな捉え方は今後どうなるかはわからないけど、いまのところは底でしょうね。

――プロレス格闘技のロマンティックな批評は空き家なところはありますね。

菊地 ターザン山本さんの時代はすべてがロマンチシズムだったわけですもんね。いまは技術をどれだけ的確に解説できるかに集中すると思うし、 解説し切っちゃうことによって、もはや何も解説することがなくなった場合、「堀口恭司のハートのタフ」とかいうものが浮き上がってくると思うんですよね。<15000字インタビューはまだまだ続く>
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