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伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる。今回はDropkickニコ生で配信されたものをお送りします!
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・Uインターのヤバイ新弟子の話■金原弘光
――新日本プロレス学校出身でHEAT-UPの渡辺(宏志)選手を取材をしたたら、金原さんが晩年の山本小鉄さんと年賀状のやり取りをしていたという最高にいい話を聞いて。
金原 えええええええええ? やってたかなあ。
――あっ、 違うんですか!?
金原 だって俺、小鉄さんの住所、知らないもん。
――……生前の山本小鉄さん本人が渡辺選手にそう言っていたそうですけど。
金原 ホントに?(笑)。いやあ、そんな覚えはないなあ。どうなんだろう。小鉄さんとやりとりしていたら絶対に覚えているはずだよね。
――もう「やっていた」という美しい思い出にしときましょう!
金原 ハハハハハハハ。
――渡辺さんのことは覚えてますか?
金原 なんとなく。本人に会ったら思い出してくるかなあ……って感じで。あまりにもいろんなことがあり過ぎたし、時間も経ってるからね。
――よくプロレスラーが昔話を盛りすぎるみたいな話ってありますけど、20年30年経てば記憶って変わっちゃいますよね。
金原 そうだよねぇ。それにUインターはすごい濃い時代だったから、記憶がだいぶ飛んじゃってるよね。
――今回はそのUインターで実現した髙田(延彦)さんと北尾(光司)さんの伝説の試合を語っていただきます。北尾さんのUインター参戦をどういうふうに聞いていたんですか?
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北尾選手サイドの言い分もぜひ聞いてみたいです。
「KOシーンの映像をあまり使い回さないでくれ」とのクレームを入れたことぐらいしか情報がなく。
北尾サイドのガタイのいい男は結局誰だったんですかね? 大文字三郎とも離れていたからプロカンフーの人たちでもないのかな。