――猪木さんのIGFでデビューされた鈴木選手にお話を伺いたいなと。
鈴木 猪木さんが亡くなられたのは10月1日ですよね。あっという間ですねぇ。
――みんなが猪木さんのことをずっと語っていることもあって、亡くなられた感じがしないんですよね。
鈴木 ボクは亡くなられた翌日の朝に「お顔を見に来ませんか」と連絡があったんですね。ボクは猪木さんの近しい人とは言えないんですけど……。
――謙虚ですね(笑)。
鈴木 いやあ、謙虚というか、猪木さんがつくった会社(IGF)で仕事してましたけど、そんな人間はたくさんいるわけですし、決して特別じゃないですよ。それでも行かせていただいたんですが……接点があった方の亡くなった姿を見るのは、本当に何十年ぶりぐらいですね。北海道から東京に出てきてからは、そういう機会がなかったんで現実感がなかったです。猪木さんの顔はリラックスされてるというか……最後は大変だったじゃないですか。
――ずっと闘病されてましたもんね。猪木さんに最後に会ったのはいつですか?
鈴木 2021年にWWEに行く前に、ビザを取得したんですけど、それがアーティストビザっていうやつなんですよ。取得するのが難しいビザで、ピースの綾部(祐二)がなかなかアメリカに行けなかったじゃないですか。それはそのビザを取得するのが難しいからです。書類もたくさん用意しなきゃいけなくて、証人が必要だったということで、猪木さんにお願いをしました。当時の猪木さんの事務所は麻布だったのかな。猪木さんをマネージメントされてた甘井(ともゆき)さんがつないでくれたんですけど。
猪木さんと最後に会ったときのツーショット
鈴木 猪木さんはやっぱり国際的にも名前がある人ですからね。議員をやったことや、モハメド・アリと戦ったこの2つが一番大きいんじゃないですかね。
――WWEで仕事するのに猪木さんにサインしてもらうっていい話ですね。
鈴木 そのあとは全然、早かったです。アメリカ大使館の面接あるんですけど、とくに何も聞かれず。「WWE?誰、好き?」という話だけして終わったんですよ(笑)。WWEは上場企業だし、アメリカ合衆国政府からも信頼されてますからね。
――そのときの猪木さんは闘病生活に入る前ですよね?
鈴木 そうですね。転んで大ケガしたくないから杖を付いてるだけで「普通に歩けんだよ」って全然元気でしたよ。そのあとは体調が悪くなって……本当にお疲れさまでしたという感じでしたね。
――やることはやり尽くしたって感じですよね。
鈴木 いや、まだプラズマがやりたかったんじゃないですか?(笑)。
――そうか、発明だけは心残りですね。失礼しました(笑)。
鈴木 ボクが会ったときもプラズマの話をされました。そういう話を聞けると「猪木さん、元気だな!」と思いました。ジャンさんならわかると思うんですけど、猪木さんってプロレスの話は能動的にされないじゃないですか。
――積極的にプロレストークはしないですね。
鈴木 聞けば返ってくるけど、そうでもなくて……。
――モハメド・アリ戦の質問をしても、いつのまにか世界平和の話になってますからね(笑)。猪木さんが言いたいことを無視して質問するぐらいじゃないと。
鈴木 ボクも、わりとそんな感じで突破してましたよ(笑)。最後に会ったときも「英語しゃべれんのか?」「全然、しゃべれないです」みたいな話をしていたら、いきなり「俺はいまプラズマなんだよ」と(笑)。
――それが猪木さんですよね(笑)。
鈴木 ボクがIGFをやめるときも、議員会館でお会いしたんですけど。1時間のうち55分ぐらいはまったく関係ない話で。猪木さんからすれば、やめる・やめないは小さい話なんですよ。
――亡くなる前に旧IGFの方と和解したのも、小さい話はどうでもいいってことですよね。誰とでもシェイクハンドできる。
鈴木 裁判の話は詳しくなかったですけど、最終的に猪木さんが決断したんだったら、それでいいんじゃないかなと思います。奥様がつくった会社のスタッフの人たちは、何か思うところがあったのかもしれないですけど。結局、最後は本人の意志になるし、猪木さんがやると決めたことが違うと思ったのならば、猪木さんから離れればいいだけで。合ってるとか間違ってるとか関係ないですよね。
――ボクも「いいか・悪いか」で物事をジャッジしないのは、猪木さんの影響もありますね。基本的にIGF以降の猪木さんってウオッチされてないというか。IGFのことをよくわかってないプロレスファンが多いと思うんですね。
鈴木 IGFの中にいたボクも、IGFのことはよくわかんなかったです(笑)。
――ハハハハハハ! 引退後の猪木さんってプロレスに関心がなかったなんて言われますけど、スイッチが入るときもありましたよね。
鈴木 あります。食事の席で何か質問すると答えてくれましたし、猪木さんのプロレスの話で覚えてるのは、IGFでピーター・アーツとはじめて試合したときですね。会場入りした猪木さんに挨拶に行ったんです。そうしたら「ちょっと待て。オマエ、ゴングが鳴ったら、浴びせ蹴りに行け。俺が試合でやっていたのがわかるか?」と。猪木さん、試合開始早々よく浴びせ蹴りをやってたじゃないですか。「当たんなくてもいいからいきなり行け。ゴングが鳴った瞬間、何も考えずにやれ」と。もうひとつは、「アーツは身体がデカイから何回もロープブレイクができちゃう。最初のうちはいいけど、3回目ぐらいにブレイクしたら、そのあと蹴れ」って言われてたんです。
――なるほど!
鈴木 ボクはそれまでお客さんが試合で湧くことを感じたことがなかったんですよ。あったのかもしれないんですけど、もしかしたら湧かせることができないレスラーかなと思ってて。でも、その試合は負けたんですけど、猪木さんのアドバイスを活かして戦ったら、すごい盛り上がってくれたんです……IGFなのに(笑)。
――IGFって唐突に試合が終わっちゃうことが多いから、湧くに湧けないことがけっこうあって(笑)。
鈴木 しかも相手がキックボクサー、プロレスラーじゃないんですよ。はじめて湧いた試合が異種格闘技戦で。
――ピーター・アーツ相手に、いきなり浴びせ蹴りやれば、お客さんは意表を突かれますよね。で、ロープブレークが多くなるとフラストレーションは高まるから、そこでストピングをやれば盛り上がる。
鈴木 ということだったんですかね。猪木さんはボクとアーツの身体のサイズから、そこまで読んだんでしょうね。でも、ボクは浴びせ蹴りをやったことなかったんですよ(笑)。かたちは知ってますよ。で、ピーター・アーツと試合することに気乗りしてなかったんですよね。怖いとかじゃなくって、プロレスの試合をしたかったんです。猪木さんはもしかしたら、そこも見透かしてたかもしんないですけど。浴びせ蹴りをやったら、緊張がほぐれて、わりと落ち着いて試合に入ることができた。結局、IGFでピーター・アーツとはタッグも含めたら6回ぐらいやったんです。
――その試合が好評だったからですか?
鈴木 たぶん、そうだと思います。当時のIGFって、受けたら何回でもやるんですよ。月に1回しか試合がないのに(笑)。
――どこでもアーツ(笑)。
鈴木 お客さんがもっとも評価してくれたのがアーツの試合です。プロレスラーとの試合じゃないのにいつも受けたのは不思議です。それは猪木さんのアドバイスがきっかけですね。
――猪木さんは計算じゃなくて感性なんでしょうね。
鈴木 本人はたぶん計算してると思うんですよね。でも、計算してる意識はないというか。だからあの時代に異種格闘技戦ができたのは、猪木さんだからこそだったんじゃないですかね。
――初めてプロレスのリングに上がる格闘家相手に戦うって、強さとセンスが問われますよね。
鈴木 猪木さんはホントに強かったですよ。猪木さんがIGF道場に来られたときに、横四方の抑え込みを見せてくれたんですよ。何人か相手にやったんですけど、急にボクのほう見て「……オマエは信用してねえだろ?」と。
――それはつまり、わざと接待してるんじゃないかと?
鈴木 はい(笑)。「みんなが遠慮してやってると思ってんだろ?」みたいなことを言われたから「はい。やってもらっていいですか?」と。
――鈴木選手も素直ですね!(笑)。
鈴木 猪木さんは「いいよ」と言ってくださって。あれは2010年頃だったから猪木さんは60後半ですかね。ボクも接待するのはイヤだったし、ダニー・ホッジやビル・ロビンソンのときも遠慮しなかったんですよ(笑)。
――ハハハハハハ! そこで体感した燃える闘魂はどうでした?
・猪木さん、ダニー・ホッジの実力
・パラオ、パキスタン、中国のアントニオ猪木
・めちゃくちゃだったIGF
・奥さんのズッコさんのこと
・みんな猪木さんを遠ざけていたのに
・「カシンのいうことを聞くように」……14000字インタビューはまだまだ続く
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コメント
コメントを書く今年1番のインタビュー!アントニオ猪木について、語ってほしいことを、こんなに知らないことだらけで話してくれた鈴木秀樹に感謝しかない。記事が終わってほしくないと思いながらスクロールして読んだのは久しぶり。コレがあるから、ドロップキックはやめられない!
ヨシタツさんらしいなとは思いますが怒りを感じるのもよくわかります。そんなヨシタツさんが私は好きですけど。
猪木が強かったって話を聞くとやっぱり嬉しい。
パキスタン大会の話も凄い。
IGFは懐かしいな。将軍、鈴川、沢田、、、
結局一度も生観戦はしなかった