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超RIZIN2で朝倉未来戦が発表されたヴガール・ケラモフインタビュー! 会見出席のために来日したところをキャッチしました(聞き手/松下ミワ)


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斎藤裕、平本蓮戦を振り返る…「ボクのほうが負けられない状況でした」




――
ケラモフ選手、会見のためにアゼルバイジャンから来日おつかれさまです。このあと歌舞伎町で会見がありますが、今回の試合は朝倉未来選手のほうからケラモフ選手をご指名したと聞きました。それはご存じでしたか?

ケラモフ そうなのか? 彼が望んでこっちにオファーが来たことは、いま知った。ただ、俺はRIZINに参戦した初期の頃からミクル・アサクラとは戦いたいと思っていたから、ちょうどよかったんじゃないかな。

――
朝倉選手にかぎらず、最近はケラモフ選手と戦いたいという声がけっこう挙がっていて。それはやっぱりケラモフ選手が強いからだと思うんですけど。

ケラモフ
 そう言ってもらえているのは単純にうれしいことだね。

――
なので、このインタビューではケラモフ選手の強さのルーツをお聞きしたいなと思っていて。さっそくですが、ケラモフ選手は幼少期はどんな少年だったんですか?

ケラモフ
 もう、とにかくケンカが好きだった。小さい頃は、毎日誰かとケンカしていたよ(苦笑)。

――
アゼルバイジャンの「路上の伝説」だったんですかね(笑)。

ケラモフ
 いろんな人とケンカをしまくっていたから、いつも着ている服がビリビリでボロボロになっていて。家に帰ると両親が呆れた顔をして待っていたよ。「そのありあまるエネルギーは、何かに別のことに使ったほうがいい」と言われるぐらいだったね。

――ケンカ相手は兄弟や友達なんですかね?

ケラモフ
 いいや、友達とはケンカしないよ。ケンカするのは、いつもまったく知らない人だね。

――
なるほど(笑)。ケラモフ選手が生まれ育った地域がそんな感じだったんですかね?

ケラモフ
 どうかな? 俺が住んでいたのはハチマスという村で、街ではなく田舎のほうだったけど。

――
そんな中で格闘技と出会ったのはいつだったんでしょう?

ケラモフ
 もともと戦うことが大好きだったし、ケンカも日常茶飯事だったから、最初はルールのない格闘技というか、いわゆるパンクラチオンから始めたんだ。

――パンクラチオンですか! じゃあ、最初から現代MMAとかなり近いルールで戦っていたんですね。

ケラモフ
 たしかに、とても似ているね。そのパンクラチオンを始めたのが9歳からだったかな。

――
となると、格闘技歴はめちゃくちゃ長い。

ケラモフ
 いま31歳だから、もう20年以上はやってるね。

――
バックボーンを見ると、柔道、ウーシュー、散打、コンバットサンボなど、かなり多彩な競技の経験があるようですが、それはパンクラチオンが強くなるために取り入れていったんですか?

ケラモフ 基本的にはそうだ。自分の能力をさらに開花させたいという思いがあったから、パンクラチオンだけじゃなくて、その競技にプラスになるような柔道、ボクシング、ほかにもいろんな競技を経験したよ。

――
日本だと、柔道は学校の授業で習ったり、空手やボクシングは街の道場で競技と出会ったりするんですけど、アゼルバイジャンだと各競技とはどういう出会い方をするんでしょう?

ケラモフ
 俺たちの国でも、たしかに柔道は学校の授業の中にもあって。自分の能力を高めたいということで続けていくうちに、柔道がとても強くなったんだ。アゼルバイジャン代表として何かの大会に出たりすることもあったよ。

――
柔道のアゼルバイジャン代表選手だったんですか!

ケラモフ
 そういう競技会に出ていると、そこからまた広がっていろんな競技と出会ったというか。「じつは、自分は総合格闘技に興味があるんだ」ということを言っておくと、周りから「じゃあこういう競技も習得しておいたほうがいいんじゃないか?」とアドバイスをいろいろともらったりしたね。

――
アゼルバイジャン周辺の地域ではレスリングが盛んなイメージもあるんですけど、レスリングはどうだったんですか?

ケラモフ
 レスリングもやったことはあるけど、競技会のような試合に出るまではやったことがなかったね。ただ、レスリングの代表選手たちがトレーニングしている中に混ざって、一緒に練習していたことはあるよ。

――
なるほど。その後、プロとしてのMMAデビューは2012年となってますが、9歳からそれまでというのはアマチュアで戦っていたということですか?

ケラモフ
 そうだね。2012年までは、とにかくアマチュアでいろんな試合に出ていたよ。パンクラチオンのヨーロッパ大会のチャンピオンにも3回なっているし、それからヨーロッパMMA選手権で優勝したこともある。じつは、その時期にプロの試合にも何度か出たことがあるんだが、それが公式記録にはなっていなかったりするものもあって。まあ、YouTubeなんかで探してもらえれば、昔の試合も出てくるかもしれないね。ぜひ見てほしいな。

――そのアマチュア時代って、アゼルバイジャン内でのMMA人気というのはどういう感じだったんでしょう?

ケラモフ
 俺が9歳でパンクラチオンをはじめた頃は、アゼルバイジャンでは格闘技の位置付けはそこまで高くなかったと思う。パンクラチオンもあまり有名でもなかったし、人気もなかったしね。

――
アゼルバイジャンではムサエフ選手がRIZINライト級GPで優勝して国民的人気者になっている映像がSNSでも話題になりましたが、そこまで認知度は高くなかったんですね。

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取材終了後、会見場所に歌舞伎町に向かったケラモフ。当然ファンが群がる!


ケラモフ
 で、じつは、俺は9歳の頃に一度モスクワに移住しているんだよ。

――
あ、モスクワに住んでいた時期があるんですか?

ケラモフ そう。家族と一緒にモスクワに移り住んで、それで10年ぐらい過ごしてアゼルバイジャンに戻ってきたんだが。そのモスクワでは、当時からMMAが競技として確立されていたんだよね。

――
ロシアの選手といえばエメリヤーエンコ・ヒョードルが有名ですけど、ケラモフ選手がモスクワに移住した2001年から10年間というのは、ヒョードルがめっちゃ活躍していた時期でもありますよね。

ケラモフ
 ヒョードルは俺の憧れの格闘家だよ。

――
というとPRIDEを……。

ケラモフ
 (通訳を介す前に)PRIDEだろ? 大好きなイベントだった。

――あ、PRIDE直撃世代でしたか。

ケラモフ
 ああ、PRIDEはもう大好きだったよ。なにしろPRIDEの試合は全部観てるからね。PRIDEの熱血なファンだったんだ(笑)。ヒョードルのおかげでPRIDE人気がロシアだけじゃなく、アゼルバイジャンでも凄く高まっていたんだよ。

――
ケラモフ選手たちの活躍は、ヒョードルが撒いた種でもあるんですね。

ケラモフ
 ただ、当時は「自分は絶対にPRIDEでは試合したくない」と思っていたね。なぜなら、グラウンド状態の相手の頭をガンガン蹴ったりしていて「……こんな危ない競技には、とても参加できない!」と思ったんだ(苦笑)。

――
ハハハハハ! でも、いまは……。

ケラモフ
 あの危険なルールでやってるからね(笑)。不思議な感覚だよ。

――ヨーロッパではミルコやヒョードルの活躍もあって、一般人でも「さいたまスーパーアリーナ」という会場を知ってる方が多いんですけど、当然ケラモフ選手も?


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