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齋藤彰俊インタビュー第7弾はダーク・エージェントの戦いは真剣勝負だったです!(聞き手/ジャン斉藤)
【齋藤彰俊バックナンバー】
――今日は彰俊さんが00年代中盤のノアで結成したユニット、ダーク・エージェントの話を聞きたいんですけど。あれはどういう発想で始まったんですか?
彰俊 もともとですね、ファンの方たちや選手もそうなんですけども、口に出しては言えないけど「じつはこんなことがあったら」「こんなことがやりたい」ものってありますよね。それを引き受ける闇の代理人ですよね。
――『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造的な!
彰俊 はい(笑)。皆さんの心の奥に潜む願望を叶えるのがダーク・エージェントですね。人間って善の部分もあるんですけど、心の中は意外とダークな部分があると思うんですよ。その闇の部分を全面的に出そうと。それまで自分は秋山(準)さんのスターネスにいたんです。秋山さんと一緒にタッグのベルトも巻いたりしてたんですが、このままおんぶに抱っこはどうなんだろう?と。
――自分の力で何か新しいことをやろうと。
彰俊 闇の代理人として「やってもらいたい」ことを叶えていこうと。いろんなことをやったんですが、その中のひとつに「悪を打ちのめす」ということでダーク(打悪)神社を作ってですね。神棚を黒く塗ってもらったんですけども、引き受けてくれた方がみんな熱を出してしまってですね(苦笑)。
――うわ!(笑)。
彰俊 やっぱり神棚を黒く塗るってことはよくないなと(笑)。
――ダーク・エージェントって基本的に笑いが中心だったイメージなんですよね。
彰俊 そうですね。血判状と言いながら、井上雅央選手、杉浦貴選手の3人でお尻を出したりとか(笑)。ちょっと冗談めいたことはやるんですけども、試合は真面目にやると。
――メンバーの井上選手や杉浦選手はどうやって勧誘したんですか?
彰俊 まあ、そこは自分が誘ったんですが、そこは会社に相談なく自分勝手にやったので……。
――えっ、それは無断勧誘は大丈夫だったんですか?
彰俊 まったくダメですね(キッパリ)。
――ハハハハハハハ! 会社も先のマッチメイクを考えてるはずだから勝手な行動は怒られそうですよね。
彰俊 ホントはそんなことはダメなんですよ。でも、もう形に先にしてしまったというか。
――ブシロード以前の新日本プロレスは選手がフライングすることは日常的ですけど、全日本系のノアでそういう動きは……。
彰俊 許されないと思いますし、みんなよくは思ってなかったとは思います。井上選手や杉浦選手も「ここに入っていいのかな?」って戸惑いはあったとは思うんですけども(笑)。
――おふたりとは仲がよかったんですか?
彰俊 いや、そんなに仲がいいというわけでは……。
――うわー(笑)。
彰俊 一応杉浦選手は中京高校の後輩で。二つ返事ではなかったと思うんですけど、所属すると。
――つまりダーク・エージェントは勝手に結成して勝手にメンバーを集めて始動していったんですね。
彰俊 ……いまそんなことやったら相当怒られますよね。怒られるというか、もう使われない。でも、あのときは始まってしまった以上は会社も許すというか、ダーク・エージェントとして試合を組むしかない。途中で川畑輝鎮選手も入りたいということで。下請けということで入ってもらって。
――当時ノアの社長だった三沢(光晴)さんや、現場を仕切っていた仲田龍さんから何か言われなかったんですか?
彰俊 直接は言われなかったんですけど、たぶんいい印象はなかったと思います。他の選手たちは「何をやってるんだろう?」と思っていたと思います。勝手にやることは許される感じはなかったですし、当時はネックレスやペンダントをして入場する選手もいなかったんですよね。自分が闇の代理人としてちょっとずつ変えていこうという感じでした。
――全日本プロレス系でやっちゃいけないこともやることも一つの使命。
彰俊 そうですね。ちょっと変わったことをやるのも面白いかなって。鈴木みのる選手の髪型がスイカのマークに似てたんで、スイカに顔を彫ってそれを割るとかですね(笑)。幼稚なんですけども、相手の気持ちを揺さぶるような仕掛けをやろうと。
――ダーク・エージェントのことは、東スポがよく取り上げていた印象があるんですね。
彰俊 面白いとは思ってくれていたんではないのかなと。ただ、面白いネタだけではなくて、その当時のタブーというか、やってけないところまで踏み込んだんです。それは何かというと、どうしてもGHC選手権をやりたいと。自分は新日本の時代から選手権とかまったく興味がなかったんですよ。戦えればいい。1回も「ベルトに挑戦させてください」とかアピールしたことなかったんです。ベルトに興味がないと言ったらおかしいんですけど、戦って相手を潰せればいいやっていうだけで。でも、ダーク・エージェントのときは、毎日のように練習のときにGHCヘビー王者の小橋(建太)さんに「挑戦を受けてください!」とアピールしてたんですね。でもまあ、そんなことで選手権が決まるわけでもないんで。
――さすが勝手にタイトルマッチはできないですよね(笑)。
彰俊 なので小橋さんの怒りを買うために、なんでもやった感じです。沖縄の琉球空手の裏拳で小橋さんを失神させたことがあるし、小橋さんの右腕を椅子で叩いて破壊しようとしたり。小橋さんもだんだん怒ってきまして「じゃあ、やってやるぞ!」となってきたときに、さらに追い打ちをかけるために「ダーク引っ越しセンター」をやったんですよ。
――ありましたねぇ(笑)。
彰俊 あの奥闇マークの帽子と引っ越しセンターのシャツを着て、試合後の小橋さんを襲って梱包して「われもの注意」のシールを貼る。そうしたらそんなマネは失礼だってことで選手権を取り消すぐらいの事態になっちゃったんです。「あの小橋健太さんを梱包してシールを貼るとは何事だ!?」と。
――当時のノアではとても許されない空気だったわけですねぇ。
彰俊 許されないですね。計算外だったのは「神聖な選手権をこんな奴に……」という動きがあったことです。それまではちょっと面白がって見ていたファンも「あの野郎!」と怒り出して。当時は三沢さん、秋山さん、田上(明)さんあたりが選手権をやることはお客さんとしてありでしょうけど、自分が小橋さんに挑戦するところで興味を惹くのか?というところはあったんですよ。でも、「ダーク引っ越しセンター」までやると、お客さんの怒りの感情がものすごかったんですよね。
――四天王プロレスの流れを汲むピュアな団体で、変なエンタメはやってくれるなってことなんでしょうね。
彰俊 しかも当時の小橋さんは10回の防衛を果たしている絶対王者。ものすごく屈辱的じゃないですか。自分は「齋藤の公開処刑が見たかったら大阪府立体育会館に来い」と煽ったんですよね。
――そうやってファン感情を揺さぶることで挑戦者として認められたんですね。
彰俊 最大の狙いは怖い小橋さんを引き出すことだったんです。やはり小橋さんのプロレスは正統派のプロレスで勝つ。それも正しいんですけど、以前対抗戦を見たときに、相手のラフ攻撃を受けて、怒った顔で頷いた小橋さん。やり返すんだなとゾクゾクしてたのですが、繰り出したのは正攻法だったんです。1回ぐらい小橋さんもラフファイトをやってもいいでしょうと。リミッターを外した怖い小橋健太を見せることが最大の目標だったんですよね。で、最終的に小橋さんは拳で自分の顔を2発、殴ったんですよ(笑)。
――大成功ですけど、めちゃくちゃ痛いですよ(笑)。
彰俊 ホントそうです。でも、それはいままでの小橋さんにはなかった攻撃です。1回おもいきり殴られて、意識が飛びそうになりながら「やった~!」と思いましたね(笑)。
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コメント
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面白かったです。
内舘牧子さんが週プロに連載してたプロレスラー美男子列伝で、「齋藤彰俊は闇を持つ男の色気がある」みたいに褒めてたけど、それもネーミングのヒントになってるのかな?と思ってます。
死ぬほどつまらなかった