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川村亮インタビュー後編です!(聞き手/ジャン斉藤)


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・リングス公認「リングス東大」とは何か■宇留野修一




――パンクラスは戦極(SRC)を運営するドン・キホーテの子会社になって、選手だった川村さんが社長になりますよね。いったいどういう流れだったんですか?

川村 うーーーーーーーーーーん、もうおぼえてないですね(笑)。

――ハハハハハハハハハ!いろいろとありすぎたことで(笑)。

川村 ちょっと詳しい話はしづらいんですけね。なんか変なことがあったわけじゃないんですけど(笑)。繰り返しになりますけど、ボクは憧れのパンクラスに入って、プロになれて、チャンピオンにもなれて、大きな舞台にも出ることができて満足だったんです。そのボクがパンクラスの社長という役割を担うことで、多少でも力になれたり、貢献できるのであれば……という感じですかね、簡単にいうと。

――川村さんがあそこで引き受けなかったら、パンクラスは大変だったんじゃないかなって見てたんですけど。

川村 いやいや、どうなんでしょうね。

――00年代のパンクラスは運営が厳しくなっていって、たとえばオンラインカジノのボードックが始めたMMAイベントと提携したり。

川村 ああ、ボードック懐かしいですね。ボクは試合には出てないんですけど、セコンドでコスタリカまで行きましたよ(笑)。

――ボードックはコスタリカで試合の撮影したんですよね。

川村 2007年頃ですけど、すごいことをやってましたよね。いまの時代を先取りしてましたよ。お客さんがいないのに試合を撮影して、あとで配信するっていう。

――コスタリカまで どうやって行ったんですか? 

川村 移動が半端じゃなかったですよね。日本からはコスタリカの直行便がないんですよ。乗り継いでコスタリカまで行って、そこから船に乗って何時間か……。

――どこかの島に閉じ込めて何かやるって、当時のアメリカで流行ってたリアリティショー企画ですね(笑)。

川村 島はリゾート地みたいなところで、ホテル1棟全部貸し切ったんですよね。ジャングルみたいなところにリングを作って。

――選手やセコンド、撮影クルーを入れると何百人規模。お金があったわけですよねぇ。

川村 後日配信というかたちで、結果はバラしちゃダメで。

――配信まで結果は明かさない制約書があったんですよね。

川村 本当に時代を先駆けてましたよ。選手でいえばエディ・アルバレスもボードックから出てきましたね。

――「金満団体あるある」で徐々に規模を縮小して……パンクラスはドン・キホーテに頼ったわけですけど、社長としてどんな業務をされていたんですか?

川村 親会社から言われたことを粛々と実行するだけですね。まあ、いままでの話を聞いてわかると思うんですけど、何か自分から動いてやるタイプじゃないですからね(苦笑)。

――ドン・キホーテの中にパンクラスの事務所がありましたよね。

川村 時系列はちょっとたしかじゃないけど、最初は中目黒のドン・キホーテ内に事務所があって。SRCを運営するワールドビクトリーロードも入ってましたね。そのあとに独立したほうがいいということで、ボクらは亀戸のドン・キホーテに移ったんですよ。その店舗はいまはなくなっちゃったんですけど。

――道場はまだ横浜だから移動は大変じゃないですか?

川村 あー、ボクは結婚してから千葉に移ってるんで、まあ通り道ですね。

――社長時代の苦しかった思い出はあるんですか? 

川村 うーん……。


――おぼえてないですか(笑)。

川村 苦しかった思い出……。何かいろいろと大変だったと思うんですけどね(苦笑)。

――ドン・キホーテの次は、酒井正和さんがパンクラスのオーナーになるんですね。酒井さんがドン・キホーテから買い取ったのか、それともドン・キホーテから酒井さんに話が持ちこまれたのか……


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