伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光がゼロゼロ年代を振り返る連載インタビュー。今回は、トレバー・バービック戦や北尾光司戦という「イレギュラー」な決闘を制した高田延彦から、新日本プロレスとの対抗戦の試合後に「プロレス道にもとる行為」があったかどうかを問いただされていた件について……必読です! 前回はコチラ(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar973981






――プロレス団体の経営の雲行きが怪しくなるときって、まずは「ちゃんこがなくなる」なんて言われますけど、Uインターのときは、“宮富徳”こと宮戸(優光)さんの美味しいちゃんこはどうだったんですか?

金原 いや、最後までちゃんこは出ていたよ。宮戸さんは途中でUインターをやめちゃったけど、それまで宮戸さんが豪華なちゃんこを作ってるわけじゃん。だから「団体が潰れそう」という暗い雰囲気は少なくとも道場にはなかったんだよね。

――ちゃんこからは団体危機は伺えなかった(笑)。

金原 だって宮戸さんの豪華なちゃんこは、「ちゃんこ銭」とは別のお金で食材を買ってるということだから。

――ちゃんこ銭って相当かかりますよね。

金原 かかるよ。道場が1万円、寮が1万円、1日で2万円はかかる。ちゃんこの材料とは別に米も買わなきゃいけないんだよ。

――「宮戸ちゃんこ」の特別材料も合わせると、月100万はくだらない……。

金原 「経営が危ない」って知らされたのは、ある日、高田(延彦)さんと安生(洋二)さんから夜の道場に選手たちがそれぞれ呼び出されたんだよね。「おまえは何時」って決められてね。


――個人面談だったんですね。

金原 うん。そんときに初めて「経営が厳しい」と言われて「このままだとUインターの存続自体が厳しいので、新日本と対抗戦をやるしかない。おまえは出てくれるか?」って。いま考えると高田さんが選手ひとりひとりに確認する必要ってないんだよ。高田さんは社長なんだから「経営が厳しいから新日本と対抗戦をやるぞ!」と一方的にも言ってもよかった。若手は普段から「高田さんのためならなんでもやる!」という感じだったから。それなのにひとりひとり話をしてくれる高田さんは凄いなって。

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