その日も、朝から静かな一日だった。

 午後の陽光が小さな窓を抜け、傷んだ木床を容赦なく炙る、静寂に包まれた兵舎。 歩を進めるたびガチャガチャと鎧が擦れ、頼りなさげに廊下が軋むその先に、古ぼけながらも見慣れたドアが私を迎えてくれた。いつものように手甲に魔力を籠め、丸いドアノブをゆっくりと捻る。なんの抵抗もないままに限界まで回るそれは、留守中、この部屋に侵入を試みた不届き者が存在しないことを告げていた。

 その身を室内へと預け入れると同時に、肺に溜まった陰鬱とした空気をふぅっと吐きだし、ドアを閉める音でそれをかき消す。さきほどまでの鉄と汗にまみれた臭気は薄れ、薬草の類を乾燥させた香気が漂うこの部屋は、グリフォンが軽く寝がえりをうてる程度には広い。窓から入り込んだ陽射しの向こうには寝室へと続く扉が見え、その手前を、よく磨きあげられた木製の執務机が遮っている。

 古書や魔法書が押し込められた書棚、薬液瓶が乱雑に並ぶ作業台などを横目に、それまで左手を占有していた書状の束を机上に叩きつけると、幾度目となるか分からない溜息がまたこぼれた。


 しばしの沈黙ののち、視界の端でなにかが動いたような気がした。反射的に視線を向けた先にあったのは、曇りがかった鏡台に映りこむ自身の姿。やけに赤々とした重装甲の全身鎧、それに似付かわしくないエルフ特有の長耳、そして緑の長髪の根本には、夢魔や淫魔の象徴とされる巻角がその人物性を表すように捻じくれ、どちらかといえば長身の背丈をさらに後押ししている。

 ひどい顔だな、と思った。蓄積した疲労と不満をただ表に出るに任せた顔。加えて、人々に忌み嫌われる魔族の角。何度これを斬り落とそうとしたことか知れない。ふと「それでも女のつもりか」と誰かに言われたことを思いだしたが、そいつには後ほどキッチリと【ご挨拶】に伺ったところまで記憶を巡らせると、薄ら笑みを浮かべていた鏡の中の顔にまた嫌気がさし、我に返った。


 机上にばら撒かれた書状に視線を戻す。いわゆる報告書と呼ばれるそれの、所属と官姓名の記入欄に目がとまった。

 所属、帝国聖騎士団。
 秘匿名、不落。

 この簡素な文字の並びが、今の私をあらわすすべてだ。詳細な部署区分も階級もなければ、私がもつ本来の名前すらもここでは必要としない。それは私としても都合が良いことだが、聖騎士団などという絢爛な名称には未だ慣れる気はしない。さらに言えば、この報告書の内容だ。城内清掃、倉庫整理、害獣駆除など、およそ聖騎士に似付かわしくない任務の数々が並ぶ。それ自体は些末なことだが、それらがすべて欺瞞に満ちたものであると知る身からすれば、なんとも夢のない話だと思う。

 不意に、廊下が軋む音が聞こえた。その少し後に、二回、三回、一回と特徴的に鳴らされるドアノック。漏れそうな溜息を堪えながら同じようにノックを返すと、ドアの隙間から一枚の紙片が捻じ込まれ、訪問者は何を言うでもなくその気配を消した。紙片には緊急の文字とともに要人救出の任務内容が綴られており、その最後はこう締めくくられていた。

『報告書への記載は【巡回警備】とすること。なお、この指示書は読了と同時に消滅する』
 
 声を出す暇もなく、紙片は閃光を発して燃焼四散した。十秒ほど視界が失われる中、聖騎士団とは何なのかその定義の再構築を試みたが、乾いた笑いが込み上げそうだったので考えるのをやめた。




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