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国内の大木のようないくつかのシステムを維持するために、それに巻き付いている枝や近くの新芽を除いておこうという無意識が生まれ、感情としてはcompetitionの存在そのものが忌避され、スポイルという現象につながっているということでしょうか。
昭和63年生まれの初期ゆとり世代としては、どうすればこの「生き馬の目を抜く時代」をサバイブできるのか、真剣に考えなければいけないと思っています。
思えば岩崎さんのブロマガを購読し始めたのも、「このままではいけない」という思いからだったように思います。これからも「ハックルベリーに会いに行く」を読んでゆきながら、真摯に考えてゆきたいと思います。
岩崎夏海(著者)
>>1
むしろ大木が倒れそうな予感がひしひしとしていて、そこから逃げ出すことが急務なんですが、急いで逃げ出すとすぐに倒れてしまうので、そっと逃げ出す必要がある。その時、みんなで一斉に逃げ出さないように=木がすぐ倒れないように、生け贄が必要なのですが、そのちょうど良い生け贄が、若者だったという気がします。スポイルするというよりも、見殺しにするという方が近いかもしれませんね。
岩崎夏海(著者)
>>2
ありがとうございます。実はぼく自身も、生きていくのにいっぱいいっぱいなのです。そんなぼくにできることは、いっぱいいっぱいになることと、そのいっぱいいっぱいさを伝えていくことだと思っています。それを通して、何かが見えてくるような気がするからです。今後ともよろしくお願いします。