「働かざる者喰うべからず」という諺があって、これは金科玉条として長い間(1万年くらい)多くの人が信奉してきたが、21世紀に入ってその常識があっという間に崩れ去ってしまった。今は働くことが価値ではなくなった。それよりも成果を上げることの方が価値になった。

ドラッカーは、そのことをもう数十年前に言っていた。ぼくは、『もしドラ』を書いた頃でもまだその意味を理解できていなかったが、ここ数年の変化を見て、ようやくそのことに気づけた。

以前にも書いたが、世の中に「Google検索」というものができて、誰もが便利にそれを使えるようになった。だから、一見平等になったように見える。というか、条件は平等になった。
しかし、平等になったらなったで、今度は検索の得意な者が有利になり、検索の苦手な者が不利になるという状況が、かえって促進されたのだ。

デザイナーという仕事があって、昔はさまざまな技術――例えば「烏口で線を真っ直ぐに引く」こと――が必要だった。それを身につけるには、最低でも一年くらいの修行を要した。

おかげで、その修行を経た者はデザイナーとして食いっぱぐれることがなかった。参入障壁が高かったからだ。
しかし今は、「イラストレーター」というソフトを使えば、誰でも当時の最高のデザイナーより真っ直ぐできれいな線を、ほんの数秒のレクチャーで引けるようになる。そうなると、参入障壁が恐ろしく下がり、誰でもデザインできるようになってしまったのだ。

誰でもデザインできるようになると、それまで烏口の技術を習得することができずにその業界に参入していなかったデザインセンスのある人たちが大挙して参入してくる。そのため、デザインセンスのない人は市場から撤退しなければならなくなった。
今、社会で起きているのはそういうことである。デザインセンスのある人はデザインと名のつくあらゆる分野に進出できるようになったが、デザインセンスのない人の居場所はどこにもなくなってしまったのだ。

そのため今は、デザインセンスを身につけなければならない。そういう本質で勝負しなければならない時代になった。しかも競争率は高いので、文字通りある分野で世界一になるくらいでないと、食べてはいけない。

そういう時代に「働くこと」は、全く意味がないとはいわないものの価値が低い。価値があるのは成果を上げることである。
コンビニなどを見ていても、ゾッとさせられることがある。今はコンビニが自動化されていないからそこで多くの人が働いているが、いつかコンビニが自動化されたらそこで働いている人たちは一体どこへ行けばいいのか?

コンビニの自動システムというのは、もし開発されればそのオペレートは基本的に一人でできるから、雇用できるのはたった一人である。そうなると、その陰で世界中の何千万人というコンビニで働く人たちの仕事が失われる。その人たちは一体どうすればいいのか?

これはなにもコンビニ業界だけの話しではない。あらゆる業界で起こることだ。それも、今後十年かそこらの期間で起こることだといわれている。だから、これから長生きする子供たちにとってはもちろん、今の大人たちにとっても命にかかわる重大事だ。

もちろん、世の中にはそれなりのバッファがあるし、そう急激に変わらない社会システムもあるだろうから、コンビニが自動化されたからといって、そこで働いていた人たちが全員死ぬわけではない。死ぬ人もなくはないだろうが、大半は結局はなんらかの形で社会に吸収されていくだろう。

例えば、ベーシックインカムもその一つだ。仕事がない人たちを救済するため、彼らが働いていなくとも生きていけるだけのお金を渡すというのは、最もシンプルなやり方だ。

しかし、そこには大きな痛みが伴う恐れがある。というのも、そこでもしベーシックインカムを受ける人が「働かざる者食うべからず」という価値観を信奉していたら、「自分には価値がない」と思い込み、病気になるか、悪くすれば死んでしまうだろう。

これは、結婚や子育てという価値観にも当てはまる。
今、結婚というものに思い悩んでいる人たちは、社会のあり方が大きく変わって、それに伴って結婚の価値が変わったのにもかかわらず、古い法律や常識に縛られているため、そのジレンマに苦しめられているのだ。

実は今、結婚することにはほとんど価値がない。だから、結婚をしないというのは間違っていないのである。むしろ正しいのだ。
これは、「子供を産む」ということにも当てはまる。人口が多すぎる世の中では、産まないというのはむしろ賢い選択といえるのだ。

それにもかかわらず、結婚しなければならない、子供を産まなければならないという価値観に縛られていると、そこで心が苦しむ。おかげで病気になったり、最悪死んだりするのだ。

だから今必要なのは、「働く必要がない」「結婚する必要がない」「子供を産む必要がない」という価値観である。それが常識となることだ。
だからぼくは、その価値を訴えていきたい。自ら実践するだけではなく、多くの人に広め、共有していきたい。
なぜなら、それこそが多くの人の心を慰め、心の病気になったり死んだりする人を減らす、大きな社会貢献になると分かっているからだ。