ハックルベリーに会いに行く
映画のサンプリングについて研究する:その1「群衆に紛れて逃げる」(1,841字)
人には既視感というものがあって、そこに訴えかける――というコンテンツの作り方がある。その昔、山口百恵のプロデューサーをしていた酒井政利さんが、何かのインタビューで「ヒットする曲は初めて聞いたときに『どこかで聞いたことがある』と思わせる」と語っていて、なるほどなと膝を打った。
映画においてもそういうことがある。先日、岩崎夏海クリエイター塾で映画『ジョーカー』についての議論をしていたとき、塾生のSさんが「この映画は既視感を覚えるシーンに満ちているのが魅力だ」と話していて、なるほどと思わされた。
そこでSさんは、例えばジョーカーが犯罪を犯して街へ逃げると、そこにはピエロの格好をした群衆による暴動が起きていて、ジョーカーはそれに紛れてまんまと逃げおおせる――そのシーンを既視感を覚えると語っていた。
それを聞いて、ぼくははっと気づかされた。確かに、この映画は既視感に満ちたシーンが連続しているのだが、
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コメント
コメントを書くあいみょんもサンプリングが上手いですね。
>>1
音楽と映画のサンプリングは意味が少し変わってくると思っているんです。
それはおいおい書いていきたいと思います。