ハックルベリーに会いに行く
映画のサンプリングについて研究する:その16(1,934字)
映画監督になったキューブリックは、初期の自主制作をしていたときには写真家の時と同様、自分でもそれなりに満足のいくものを作れていたが、大手スタジオで撮り始めてからちょっとした挫折を味わう。スタジオやプロデューサーの力が強すぎて、自分の思うような映画が撮れなかったからだ。
特に、『スパルタカス』という映画で主演も務めたプロデューサーのカーク・ダグラスとうまくいかず、アメリカの映画業界に絶望する。この経験が、ハリウッドを去ってイギリスへ渡り、独自の映画作りを模索することのきっかけになる。そして、先にも述べたようにキューブリックは、イギリスに渡ってから本格的にその才能を開花させた。
キューブリックの名を最初に世界に知らしめたのは、1964年に公開された『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』だ。ただ、この映画は作品としての完成度はすぐれているものの、必
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