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先日、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。この作品は、カラマーゾフ家の三兄弟が不幸な目に遭う――という内容なのだが、理由の一つとして「子供の頃の教育が悪かった」ということが描かれている。どう悪かったかというと、親の愛がなかったのだ。
カラマーゾフの父親は、子供に対する愛がほとんど欠落している。途中、父親は何者かに殺されるのだが、「誰が殺したのか?」ということについて、実際的な意味(つまり実行犯は誰か?)と同時に、観念的な意味(つまり、なぜこうした状況に陥ったのか?)ということを探っていくのが、この作品のテーマとなっている。
そして、その後者――観念的な意味での犯人は、当時のロシアの「親のあり方」である。子供への接し方だ。
この作品には、虐待者としての親と、被害者としての子供とがくり返し描かれる。子供の聖性と、それを虐待する親のむごたらしさに焦点が当たっている。
ドストエフスキーは、なぜそんなテ
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