ハックルベリーに会いに行く
クリエイターは「奴隷」としてしか生きられない (2,320字)
クリエイターというのは、弱い存在である。この言葉は少し語弊があるかも知れないが、ある種の「奴隷」のようなものだ。市民の許しがないと生きていけないのである。
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コメント
コメントを書く先日は、放送お疲れ様でした。変わらず表題がちょっと刺激的ですね(笑)
放送終了後考えてみたんですが、クリエイターは、「奴隷「から始まる。」」と私は考えて、落ち着きました。
・歌舞伎などの日本の伝統舞踊が、外の世界の人間が入れない敷居が高いもの。
・ミスチルのように、20年以上若い人に愛されている歌手。
・太陽の塔で有名な岡本太郎氏。
歌舞伎の世界については、勉強不足で未知の世界ではありますが、歌手や芸術家達は元々無名で、歌えば「へたくそ」
と罵られ、絵はただの子供の落書き扱いをされる世界で、ある意味人間性を否定される世界であると認識できます。
でも、現在社会はクリエイターになりたい人、進んで奴隷になりたい人がいる。それは、現在愛されている
クリエイターが「神様」のように奉られる風潮が生まれ、神様になりたいと思う人がいるからだと思います。
そして今回、(無名の人含めたすべての)クリエイター=神様という、一部の勘違いした認識が拡大し炎上したのではないでしょうか。長くなってしまった。すみません(汗)
>>1
奴隷的な立場で居続けると、同時に神のようにもあがめ奉られる。奴隷から神への転化って、意外にスムーズに行われるんですよね。
でもこれ、想像できない人には全く想像できないらしく、伝わらないです。だから、クリエイターの神的部分だけ見て、憧れる人というのもいるんですね。まあ、そういう人はクリエイターにはなれないのですが。
本当のクリエイターは、なろうと思った時点ですでに泥水をすすってつらい思いをしているので、奴隷と言われるとピンとくるんですよね。