閉じる
閉じる
×
これから書くようなことを無料ブログに書くと、絶対に荒れる。しかしながら、これは何も荒れることを目的に書いているわけではない。だから、無料ブログを書いている時は、こういう話題について書けなかった。
しかしながら、有料ブログを始めたことにより、初めてこういう話題についても書けるようになった。その意味で、有料ブログはぼくにとって福音だった。
それでは、これから、無料ブログで書くと絶対に荒れるようなことを書く。
しかしながら、有料ブログを始めたことにより、初めてこういう話題についても書けるようになった。その意味で、有料ブログはぼくにとって福音だった。
それでは、これから、無料ブログで書くと絶対に荒れるようなことを書く。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
なぜ、そういったことが起きるのか、興味深いです。
ナショナリスト的な発言を目にする事は確かに多くなったとも思いますが、今までが少なかっただけで、やっと普通ぐらいになってきたのかな?という印象もあります(データとか根拠はさほどないのですが)
キモは通貨と言語でしょうか。
ヨーロッパ人達のナショナル感なども参考にしたいですね。
岩崎夏海(著者)
>>1
世界に現れる一つのクセ、のようなものととらえています。そういうのが、世界にはいくつかあるんですよね。
岩崎夏海(著者)
>>2
グローバル化も一方では進行しているのがミソだと思います。
昔はもっとナショナリストが多かった、というのなら分かるのですが、なぜグローバル化が進んでいる今、増えているのかが興味深いですね。
グローバルな現実主義を進めなければならなかったはずの2009年8月31日。
咲くはずのない古くさい理想主義の花が咲き、その後派手に散ったことと合致するのかなとブロマガを拝見して感じております。
現在ですが、内田樹さんの「日本辺境論」から言葉をお借りすると「キョロキョロして新しいものを外なる世界に求める態度こそはまさしく日本人のふるまいの基本パターン」ということですので、
今の日本はナショナリズムを輸入し咀嚼している時期なのかも知れません。
そして、過去の日本では弱い勢力だったナショナリズムを消化吸収した後に、今度こそ本当にグローバルな現実主義が日本で始まるのかも知れません。