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「美的感覚」は、一見シンプルなようで実は複雑である。なぜかというと、まずそもそも「単純なものは美しくない」ということがあるからだ。人は、複雑なものほど美しく感じる。
ただ、だからといって「複雑であれば何でもいい」というわけではない。あまりに複雑すぎると、人の頭はパンクしてしまい、やはり美しいとは感じられなくなる。そのため、複雑さの中に理解のよすがとなるシンプルさが、やっぱり必要となるのだ。そういうメタレベルでの複雑さも必要とする。
「複雑かつシンプル」というのは、例を出すなら「里山の光景」だ。杉山や稲が実った田、藁葺き屋根など光景を見て美しいと感じない人はほとんどいないが、これらは全て「人の手の入った自然」である。杉は人間が植えたものだし、稲も人が管理している。藁葺き屋根も当たり前ながら人が作ったもので、いずれも自然の複雑さと人工物のシンプルさがブレンドされている。そんなふうに、人間は「管
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