生きることの正解は、大工である。大工的に生きることが、人間にとって一つの理想となる。

思えば、キリストの父親であるナザレのヨセフが大工だった。大工は、その意味で人類にとって、ある種の象徴的な職業なのかもしれない。

実際、あらゆる社会に大工は存在する。そして面白いのは、あらゆる社会で尊敬はされるものの、けっして中心にはならない。リーダーやハブにはならない。

なぜなら、全ての大工が「人間関係」をあまり持たないからだろう。だから中心的な立場にはならないし、周囲もそれを求めない。それよりも、黙々と家を作ることに集中してもらう。それが社会の総意である。

だから、実に「キリストの父的な立場」がお似合いなのだ。リーダーではないが、リーダーを育むものとして尊敬される。

大工は、重要なものを作りはするが、それだけである。評価は作ったものになされ、人物にはなされない。また、社会も大工に人間性を求めていない。た