二度自殺未遂をしたことのあるぼくが書くのもなんだけど(いや、二度自殺未遂したことがあるからこそ書けるのかもしれないが)、「自殺を防ぐ方法」また、「親しい人が自殺するのを防ぐ方法」を書いてみたい。


自殺を防ぐには、まず「自殺」について理解する必要がある。その本質を知る必要がある。
もっというと、その「誤解」を解く必要がある。どういうことかというと、多くの人が自殺の本質を分かっていないからだ。それを誤解している。

多くの人は、自殺の本質を「悲劇」とか「良くないこと」と、単純にとらえている。しかし、それは誤解である。実際はその逆で、「自殺」は「良くないこと」ではなく、「悪くないこと」だ。なんならいっそ、「良いこと」ということすらできる。

なぜ自殺が「良いこと」かというと、それは「生きること」の一種だからだ。しかも、「真面目に生きること」の一種だからである。

どういうことかというと、「自殺」という行為は、そのまま「自罰」行為でもある。悪い自分を殺して、罰してやろうという思いから自殺する。そこには、強い自己嫌悪がある。
なぜ自己嫌悪するかというと、「自分の人生に絶望する」からである。逆にいえば「もっとちゃんと生きなければ」と思うからだ。つまり、その根底には「生きる」ことへの強い思いがある。

この「ちゃんと生きる」という思いが強すぎると、それができなかったときの絶望が深まる。そして、「できないならいっそ、死んだ方がいい」と考え、自殺につながるのだ。

実際、自殺未遂をすると分かるのだが、そのときのぼくはかなり「真面目」に生きていた。生きることについて、今よりずっと「真剣」だった。
しかしそれゆえ、かえって自殺という行為が近づいてしまった。だから、自殺を考えている人に対して「もっと生きることを考えて」と言うのが一番いけない。なぜなら、その人は生きることを真剣に考えた結果、自殺という結論に至ったのだから、さらに生きることを考えても、より自殺に近づくだけだ。

しかも、そこには「自分は理解してもらえていない」という絶望も加わるので、より自殺に近づくだろう。
だから、かけるべきは、過激に聞こえるかもしれないが「生きなくてもいいよ」という言葉である。「人生なんか価値がない」という言葉だ。いっそ「人生なんか捨ててしまえ」と言うのがいい。そういう考えを伝えることが、最も効果的である。

では、「人生を捨てる」とはどういうことか?
実は、それについて誰よりも深く考え、誰よりも実践した歴史上の人物がいる。釈迦である。

釈迦は、人が苦しむ理由の一つは、「『生きる』ということにとらわれすぎていること」だと考えた。そこで、「生きない」という考えを唱えた。
ところが、この考えは難しすぎて、なかなか伝わらなかった。そこで釈迦は、それを体験してもらう手段として、「出家」というシステムを編み出した。

これが仏教の始まりである。釈迦は、弟子に出家してもらうこと――つまりそれまでの生活や人間関係を捨ててもらうことによって、「人生を捨てる」ということの意味を実感してもらおうとした。

ただ、現代においてこの方法は、ハードルが高く、なかなか実践できる人は少ない。
そのため、まずは理解しないまでも、そういう考えがあることだけでも知っておくのがいいだろう。それを知識として知っておくことが効果的だと思う。

そんな釈迦の考えを知るには、この本が一番だと思う。

ぼく自身、この本を読んで、「人生を捨てる」ということの意味がよく分かった。そして、自殺しようという気持ちは、格段に薄まった。

そんなふうに、もし「人生を捨てる」という考えを知ることができれば、自殺を防げる可能性は高まる。ただ、これはやはりパッと身につけられる種類の考えではなく、じわじわと染み入っていくような種類のものである。そのため、根気よく、継続的に考えることがだいじだ。根気よく考えてくると、段々と腹落ちしてくる。

だから折に触れてくり返し読むことをおすすめする。「人生を捨てる」というのは、人が時間をかけて、ゆっくりと取り組むことなのだ。その意味で、それこそが「人生そのもの」ということができるかもしれない。


ぼくは今、「第8回岩崎夏海クリエイター塾」という私塾を開講している。ここでは、「人生を捨てる」ということの意味や、「自殺とは何か」ということについても講義をしているので、ご興味のある方は、よろしければご参加いただきたい。詳細は、こちらの記事まで。