ハックルベリーに会いに行く
マンガの80年代から90年代までを概観する:その56(1,823字)
赤塚不二夫が巻き起こした「ギャグマンガ旋風」はすさまじく、直後にフォロワーが雨後の竹の子のように現れた。おかげであっという間に「ギャグマンガ」というジャンルが確立したほどだ。
ぼくは1968年生まれだが、物心ついたときにはすでにギャグマンガはジャンルとして確立していた。ぼくが本格的にマンガを読み始めたのは1978年頃のことだが、それはまだ『天才バカボン』の大ヒットからほんの10年ほどしか経っていない。マンガ界では、ほとんど『天才バカボン』一作でギャグマンガというジャンルが勃興し、以降、それが当たり前のこととして定着するようになったのだ。
赤塚不二夫のギャグマンガを最初に受け継いだのは少年ジャンプ誌ではないだろうか。この雑誌の創刊は1968年で、ちょうど『天才バカボン』の大ブームとかぶっている。だから、まだ色がついていなかった分、乗っかっていきやすかった。フォローしやすかったのだ。
そこで、
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コメント
コメントを書くうすた京介はどうなんだろう
彼もやっぱり疲弊したのだろうか
>>1
疲弊したと思います。