ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾と東條英機:その7(2,075字)
石原莞爾は1902年、13歳のときに仙台陸軍地方幼年学校に試験を受けて合格し、編入する。
仙台陸軍地方幼年学校は、それより5年前の1897年にできたばかりだった。陸軍「地方」幼年学校は、仙台のみならず名古屋、大阪、広島、熊本にあり、東京は陸軍「中央」幼年学校と呼ばれた。地方で優等の者は、やがて中央に上がるようなシステムだった。
この学校の目的は、陸軍の幹部候補生を幼少時から養成することに他ならない。全寮制で、各地方の優秀な子供たちが集められた。そんな、超エリートの集団だった。
当時、仙台陸軍地方幼年学校の生徒数は全部合わせて50名ほど。東北各地から優秀な子供たちが集められていたが、その中で完爾は、運動こそ相変わらず苦手だったものの、学業はやはり抜群の成績を残した。完爾は、東北のトップ集団の中でも、頭脳だけは群を抜いていたのである。
1905年、16歳のときに晴れて陸軍中央幼年学校に進む。い
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