ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾と東條英機:その16(2,233字)
石原莞爾には同志であり尊敬できる先輩がいた。板垣征四郎である。
板垣は1885年、石原は1889年生まれだから、4歳年上である。板垣は岩手出身、石原は山形出身だから同じ東北同士で、ともに仙台陸軍地方幼年学校出身であった。
東條英機にも、やはり同志であり尊敬できる先輩がいた。永田鉄山である。
永田は1884年、東條も1884年生まれだが、早生まれなので永田の方が1学年先輩だ。永田は長野県諏訪町(現諏訪市)出身だが、父の死に伴って11歳のときから東京新宿で暮らしていた。東條も、父は岩手出身だが自分は千代田区で生まれ、移行、ずっと東京で育った。
つまり、(石原と板垣もそうなのだが)、東條と永田は似たような出自を持つ。共に父の出身は地方だが、育った場所は東京のど真ん中だ。
そういうふうに、「地方と都心のハーフ」のような人物は、明治時代に一気に増えた。いずれも、地方のエリート家系に多かった。
永田も
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