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最もありがちな哲学的命題として「生きるとは何か?」というものがある。人類の長い歴史の中で、多くの人がこれにもっともらしい答えをしてきたけれども、そのうちの少なからずの人が「何でもない」と答えている。違う言い方をすると「『生きる』ということは存在していない」と答えている。つまり、「そもそも質問が無意味なのだ」と言っている。
「生きる」とは虚である。幻である。空想上の概念だ。これはもうかなり前から科学的に立証されているが、しかし概念としては受け入れられていない。むしろ、近年ますます「生きる」ということの実存を信じる人が増えている。
2500年前に、ソクラテスも孔子も仏陀も「『生きる』ということは存在しない」という趣旨のことを言った。しかしその言葉はほとんどの人に理解されず、従って否定されるのではなくスルーされた。聞き間違いかと思ってなかったことにされてきたのだ。
植物は「生きる」などということ
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