ハックルベリーに会いに行く
庭について:その77(1,699字)
小沢圭次郞は1842年に桑名藩(今の三重県桑名市)の江戸下屋敷に生まれる。その下屋敷には浴恩園と名づけられた大名庭園があって、小沢はそれに親しみながら育った。
父親が桑名藩の医官だった関係で、長ずると自分も医者を志し、幕末期には緒方洪庵のもとで学ぶ。つまり福澤諭吉と同門だが、それほど深い親交はなかったようだ。
明治になると学問の道に進み、やがて教師になる。海軍兵学校や東京師範学校(現筑波大学)で教鞭を執ったりするが、この頃、自分の生家ともいえる浴恩園をはじめ、東京の大名庭園が次々と壊されていくのを憂えて、これの記録を残すと同時に、日本庭園の研究を始める。やがて庭園関係の書籍を次々と出版する。
それと平行して、さまざまな庭造りのアドバイザーやプロデューサーを務める。彼が携わった庭には伊勢神宮の改修や奈良公園、天王寺公園など、今も残るさまざまな公共施設の公園がある。つまり、明治期の公園プロデュ
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