ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾と東條英機:その63(1,862字)
二・二六事件は1936年に起こっている。つまり太平洋戦争開戦の9年前だ。ここからの9年間が、激動なのである。戦争中を抜かせば、日本の最も脂っこい時代だ。
石原莞爾は1889年生まれなので、47歳から56歳までがその激動の時代ということになる。そのため石原自身も、まさに脂が乗り切っていた時期だが、それが逆に石原にとって最もつらいものになった。
というのも、この頃の石原はますます頭が冴え渡っていたが、それゆえますます傲岸不遜になっていたからだ。歯止めが利かなくなったのだ。
石原はもともと傲岸不遜だった。ただ、若い頃は周囲がそれを許さないところもあり、少なからず隠忍自重させられていた。しかし年齢や立場が向上するに連れ、いよいよ意見する者がいなくなり、歯止めが利かなくなった。
しかも、歯止めをかけないことで石原の能力はますます冴え渡った。その自覚もあったから、石原自身にもそれに歯止めをかけられない
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