「インターステラー」は、一見して現代映画の正当進化形だと感じた。

現代映画は、少し前まで主流だった「派手な視覚効果」では人を集められなくなっている。それに代わって、「映画文法の新たな発見(発明)」の価値が高まっている。そういうものは、もちろん以前からあったが、ここにきてその価値が高まっているのだ。

映像と映像とを編集すると、そこに独特の「意味合い」が生まれる。
例えば、人が何かを指さした映像の後に、何かの物体が写っている映像をつなげると、観客は「前の映像で指さしたものがこの物体なのだな」と思う。これが「意味合い」である。
あるいは、女性が叫んだ後に、階段を転げ落ちる乳母車が写ると、「あの乳母車には赤ちゃんが乗っていて、その赤ちゃんの母親は先ほどの女性なのだ」と、誰もが自然と受け取る。これも「意味合い」である。
こういう「意味合い」を生み出すものこそ、「映画文法」なのである。

「映画文法」は