ハックルベリーに会いに行く
「インターステラー」が橋渡すもの(2,140字)
「インターステラー」は、一見して現代映画の正当進化形だと感じた。
現代映画は、少し前まで主流だった「派手な視覚効果」では人を集められなくなっている。それに代わって、「映画文法の新たな発見(発明)」の価値が高まっている。そういうものは、もちろん以前からあったが、ここにきてその価値が高まっているのだ。
映像と映像とを編集すると、そこに独特の「意味合い」が生まれる。
例えば、人が何かを指さした映像の後に、何かの物体が写っている映像をつなげると、観客は「前の映像で指さしたものがこの物体なのだな」と思う。これが「意味合い」である。
あるいは、女性が叫んだ後に、階段を転げ落ちる乳母車が写ると、「あの乳母車には赤ちゃんが乗っていて、その赤ちゃんの母親は先ほどの女性なのだ」と、誰もが自然と受け取る。これも「意味合い」である。
こういう「意味合い」を生み出すものこそ、「映画文法」なのである。
「映画文法」は
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。