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「人に教える」ということは、なぜか教える方にとっても教育効果が高い。そもそも、なぜ「大学」という「研究機関」が存在するかといえば、研究者にとって、生徒に教えることは研究をはかどらせる上で非常に役に立つという経験則が、人類の中で積み上がっていたからだ。「教える」ということこそ「成長する」ということに他ならないのである。
ではなぜ、教えることによって成長が果たせるのか、考えてみたい。
教えることによって得られる成長効果の一番目は、「メタ視点」の獲得である。
教師になるということは、生徒に対して俯瞰的な眼差しを得ることである。例えばぼくがお笑い養成所で講師をしているときに、常々考えるのは「なぜこの生徒はできが悪いのか」ということで、するとそこで「素直さが足りない」などの「知見」を得られる。
しかしこの知見は、生徒の立場からはなかなか得にくいものである。例えば、生徒の側に立つとそもそも「自分はなぜ
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プルーストの『失われた時を求めて』では、他人の文法間違いを指摘する箇所が沢山登場しますね。あえて登場人物におかしな言葉遣いの発言をさせるシーンも多いです。