• このエントリーをはてなブックマークに追加
教育考:その10「教えることによって教わること」(前編)(1,639字)
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

教育考:その10「教えることによって教わること」(前編)(1,639字)

2015-03-19 06:00
  • 1
「人に教える」ということは、なぜか教える方にとっても教育効果が高い。そもそも、なぜ「大学」という「研究機関」が存在するかといえば、研究者にとって、生徒に教えることは研究をはかどらせる上で非常に役に立つという経験則が、人類の中で積み上がっていたからだ。「教える」ということこそ「成長する」ということに他ならないのである。
ではなぜ、教えることによって成長が果たせるのか、考えてみたい。


教えることによって得られる成長効果の一番目は、「メタ視点」の獲得である。
教師になるということは、生徒に対して俯瞰的な眼差しを得ることである。例えばぼくがお笑い養成所で講師をしているときに、常々考えるのは「なぜこの生徒はできが悪いのか」ということで、するとそこで「素直さが足りない」などの「知見」を得られる。

しかしこの知見は、生徒の立場からはなかなか得にくいものである。例えば、生徒の側に立つとそもそも「自分はなぜ
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
ニコニコポイントで購入

続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

入会して購読

この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

コメント コメントを書く

プルーストの『失われた時を求めて』では、他人の文法間違いを指摘する箇所が沢山登場しますね。あえて登場人物におかしな言葉遣いの発言をさせるシーンも多いです。

No.1 117ヶ月前
コメントを書く
コメントをするにはログインして下さい。