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教育考:その30(最終回)「教育の未来」(1,983字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 113ヶ月前
教育というのは、「もしドラ」を書いて以降、ぼくにとって大きなテーマとなっていた。それは、マネジメントを勉強する中で、「教育とマネジメントは根本的に逆なもの、別なものではないか」と考えるようになったからだ。どういうことかというと、マネジメントが人の弱みを中和し、これに着目しないのとは逆に、教育は人...
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教育考:その29「自分の限界を知る方法」(1,514字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 113ヶ月前
人間が成長するためには、自分の限界を知らなければならない。ところで、人間はいつ自分の限界を知るのか?それは失敗したときである。だから、教育というのは、言い換えれば「子供に失敗をさせること」なのである。では、子供はどうすれば失敗するのか?それは、前述した「旅に出る」というのも一つだが、もう一つは「...
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教育考:その18「その人のコミュニケーション能力を決定づける母親」(1,696字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 116ヶ月前
よく気づき、観察力や推理力に長けている母親は、子供のコミュニケーション能力を育てられない。それどころか、生涯にわたってコミュニケーション能力の欠如した人間にしてしまう危険性が大きい。今回は、そのことについて見ていきたい。乳幼児の頃、母親がよく気づき、観察力や推理力に長けた人だと、コミュニケーショ...
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教育考:その17「コミュニケーション能力が欠如している人とは(その2)」(2,042字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 116ヶ月前
コミュニケーション能力に対する「かまえ」は、幼少時に決定される。そこで、言葉に対する「苦手意識」が植え付けられると、以降、なかなか前向きに取り組めない。そのため、なかなか能力を伸ばせない。しかしながら、そうした「苦手意識」以上に、コミュニケーション能力を育む上での大きな障害となるものがある。今日...
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教育考:その16「コミュニケーション能力が欠如している人とは(その1)」(1,960字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 116ヶ月前
子供が成長するためには、子供自身が器を広げなければならない。器を広げるためには、彼らがこれまでの方法では対処できない新たな問題に遭遇し、悩んだりもがいたりしなければならない。なぜなら、人間の器というのは、悩んだりもがいたりするときに広がるからだ。では、子供に悩ませたりもがかせたりするためにはどう...
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教育考:その15「子供が器を広げるとき、親にできること」(1,792字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 116ヶ月前
子供が成長するためには、圧がかかる必要がある。圧がかかることによって、子供は器を拡張せざるをえなくなる。そうして、さまざまな問題に対処できるようになる。では、子供に圧がかかるとき、親にできることは何か?今日は、そのことについて見ていきたい。ところで、「子供に圧がかかる」というのはどういうことか?...
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教育考:その14「器を拡張するということ」(1,831字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 116ヶ月前
成長するということは、自分という器の中にさまざまな能力を格納していくことにたとえられる。当然、多くの能力を格納すればそれだけ成長できるわけだが、格納する場所は「器」なので、そこには自ずから容量の限界が存在する。そして、子供のときの器というものは、その限界が早い――つまりとても容量が少ない。そのため...
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教育考:その13「成長の概念」(1,711字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 117ヶ月前
「成長」というのは、問題解決能力を身につけることと等しい。では、どうすれば問題解決能力を身につけられるのか?今日は、そのことについて見ていきたい。ところで、「問題解決能力を身につける」というのは、その前提として「問題解決能力がまだ身についてない」ということである。そうして「問題を解決できない」と...
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教育考:その12「成長ということの概念」(1,622字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 117ヶ月前
「教育」の目的が何かといえば、それは「成長」を促すことである。では、成長とは何か?その「概念」が定まっていなければ、教育もおぼつかない。そこでここでは、「成長とは何か?」ということの概念を掘り下げていきたい。そうすることで、成長を目的とする教育がいかに為されるべきか――を考えていく。成長とは何か?...
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教育考:その11「教えることによって教わること」(後編)(1,393字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 117ヶ月前
教えることによって得られる成長効果の三番目は、責任、あるいはそこにおける「プレッシャー」である。「人に教える」ということは、その教えることが「分かっていなければならない」という責任が生じる。その責任によるプレッシャーが、人を育てる――つまり教師自身を育てるのである。これは教師をしているとやがて突き...
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教育考:その10「教えることによって教わること」(前編)(1,639字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 117ヶ月前
「人に教える」ということは、なぜか教える方にとっても教育効果が高い。そもそも、なぜ「大学」という「研究機関」が存在するかといえば、研究者にとって、生徒に教えることは研究をはかどらせる上で非常に役に立つという経験則が、人類の中で積み上がっていたからだ。「教える」ということこそ「成長する」ということ...
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教育考:その9「子供をなめることの効用」(2,103字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 118ヶ月前
基本的に、誰かを「なめる」ことは悪いとされている。そこには、慢心したり、問題の本質から目をそらしたり、根本的な解決に至らなかったりというデメリットがある。子供をなめることにも、同種にデメリットがないわけではない。しかしながら、それ以上に大きなメリットがあるため、これをむしろ励行した方が、大きな教...
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教育考:その8「子に理解を示した親が辿る末路」(1,631字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 118ヶ月前
教育のことを考えるたびに思い出す話がある。それはキタキツネの教育だ。キタキツネは、自分の子供が大人になるまでは大事に育てる。それこそ命がけで育てる。外敵が来たら、身を挺して守る。子供は、そんな親の庇護の元、ぬくぬくと育つ。ところが、その子供が大人になったとき、今度はその親から急に敵認定される。そ...
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教育考:その7「子供を見限るにはどうすればいいか」(2,090字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 118ヶ月前
子供の成長を促すためには、子供を見限る必要がある。なぜなら、そこで親子双方が傷つくので、ともに成長を果たせるからだ。では、子供を見限るにはどうすればいいか?子供を見限る方法は、難しくもあるが簡単でもある。要は、巷間に流布しているコミュニケーション術と逆のことをすればいい。他人にしてはいけないこと...
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教育考:その6:「他人を傷つける方法」(1,748字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 118ヶ月前
骨董商の、弟子に大金を渡して、実際に骨董を買ってこさせ、鍛える――という育て方は非常に興味深い。この方法だと、弟子に責任を負わせられるので、追い込み、真剣にさせることができる。それによって成長を果たすというわけなのだが、同時に自分も大金を支払っているので、責任を負うし、追い込まれるし、真剣になる。...
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教育考:その5:「目を磨く方法」(1,627字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 119ヶ月前
審美眼を養うためには、目を「磨く」必要がある。磨くというのは、「ちょっと削る」という意味である。だから、審美眼を養うためには、目をちょっと削る必要があるのだ。では、どうすれば目を削ることができるのか?その昔、骨董商が後継を育てるときには、弟子にお金を持たせて、それで実際に買いに行かせたそうである...
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教育考:その4:「曇りなき目を得る方法」(1,558字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 119ヶ月前
「たとえ」の力は偉大である。なぜ偉大かといえば、「たとえ」の中に「事象の構造を解き明かす力」があるからだろう。「構造」は「本質」とも言い換えられるので、「たとえ」ることによって、この世の本質に迫ることができるのである。例えば、「曇りなき目を得る方法」というのを考えるとき、それを何かに「たとえ」て...
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教育考:その3「美しい自然を見ても審美眼を養えない人」(1,575字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 119ヶ月前
審美眼を養う方法は、簡単なようで難しい。難しいようで簡単である。結論からいえば「美しい自然」を見ることである。そうすれば、自ずから審美眼は養える。しかしながら、最近になって気づいたのは、美しい自然を見ても審美眼を養えない人がいる――ということだ。特に、まっとうな社会人に、そういう人が多い。そこで今...
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教育考:その2「アンリ・ルソーが好きだった」(2,018字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 119ヶ月前
ぼくは子供の頃にアンリ・ルソーが好きだった。アンリ・ルソーは画家である。いわゆる印象派に属するが、その作風から素朴派などとも呼ばれている。ルソーも歴史的な芸術家の例にもれず生前は絵がちっとも売れなかったが死後に評価が高まって、今では画集なども数多く出版されている。ルソーの絵を見るのは比較的容易い...
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教育考:その1「ぼくは見てきた」(2,052字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 119ヶ月前
人は成長したいのだろうか?よく分からない。ぼく自身を振り返っても、「成長したい」と思った記憶はない。ただ、絵が上手くなりたいとか、野球が上手くなりたいとか、ものをもっとよく知りたいとか、そういうことは思ったかもしれない。ぼくは高校生のときにクリエイターになりたいと思った。小説家か映画監督になりた...