あまり知られていないことだが、ぼくは小説が好きだ。
特に好きなのは、『ハックルベリー・フィンの冒険』『赤毛のアン』『レ・ミゼラブル』『風と共に去りぬ』『老人と海』『百年の孤独』といった、いわゆる世界文学。傾向としては、英語のものが好きなのかもしれない。

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そうして、10代の半ばにはもう小説家になりたいと考えていた。

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その後、小説を書くにはもう少し修行が必要と感じて、放送作家をずっとしていたが、30になるとき、満を持して小説を書き始めた。

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ところが、それから3年間、命を賭けて計5作の小説を書いたものの、それらはちっとも受け入れられなかった。それは、ぼくの好きな小説の傾向というものが、あまり世の中で受け入れられていないからだと思う。上記のぼくが好きな小説も、今でも有名ではあるけれども、古典として誰もが読む、という類いのものではない。実際、読んだことがない人の方が圧倒的に多いだろう。世の中は、ぼくが読みたいような小説、そして書きたいような小説を読むという傾向にはなかったのだ。

それで、32歳の時に小説家になることを諦めた。
ところが、それから8年が経過した40歳のときに、『もしドラ』を書くというチャンスを得た。それも、小説で書くというきっかけを得たのだ。

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それで、ぼくは不思議な気がした。『もしドラ』は、小説であること以前に、まずはドラッカーの紹介本を書くというコンセプトがあった。だから、それは小説以外の形式でも良かったのだが、なぜか小説形式で書くことになった。それによって、かつて小説を諦めた自分が今また小説を書くという皮肉に、人生の不可思議さを感じたのだった。

そういう経緯があったから、『もしドラ』を書いたときは、ある意味肩の力が抜けていた。特に、小説としてはさておき、企画に関しては絶対の自信を持っていたから、今にして思えば『もしドラ』を書くのは比較的楽だった。もちろん、それなりに試行錯誤し、難航した部分もあったけれど、結果から見ると非常に安産だった。それは、ポンと音を立てるようにして軽快に生まれたのだ。

『もしドラ』が生まれてみると、それは当初の企画意図をほぼ満たすような出来になっていた。だから、これは売れるのではないかと思った。思ったというか、確信した。だから、発売前から200万部というのを公言していたのだ。

さて、そうして実際に200万部売れて、今度は新たな自信が生まれた。それは、企画者としての自信だ。前述したように、ぼくはぼくの小説が受け入れられるとは今でも思っていない。『もしドラ』はたまたま小説形式だったが、それが売れたのは、あくまでも企画が良かったからだ。だから、自分には企画者として才能があり、それを活かしていけば、これからも生きていけるのではないかと考えたのだ。

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そうして、『もしドラ』以降は本の企画で頑張っていこうとした。しかしながら、『もしドラ』以降に企画した本のいくつかで、手痛い失敗を経験することになる。

まず、『甲子園だけが高校野球ではない』という本を出した。

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これは、発案そのものは廣済堂さんだったが、その企画にアレンジを加えた。ディテールはぼくが詰めた。すると、これが大ヒットを記録した。もともとの素材も良かったが、ぼくの味付けも良かった。それが功を奏した形だった。

これで気を良くしたのだが、しかし以降は低迷が続く。
続いて、『エースの系譜』。

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これはちっとも売れなかった。本が売れなかったのは、ぼくにとって初めての経験だった。これは、『もしドラ』より以前に書いた処女作だったので、売れなかったことのショックは大きかった。
そして、『小説の読み方の教科書』。これもやっぱり売れなかった。

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さらに、『鮭はここまで約束守ってんのに』『チャボとウサギの事件』『宇宙って面白いの?』『まずいラーメン屋はどこへ消えた?』『『もしドラ』はなぜ売れたのか?』『競争考』なども、やっぱり売れなかった。

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ここら辺で、ぼくもなんとなく『自分は考え違いをしていたのではないか』ということが飲み込めてきた。自分の勘違いに気づき始めたのだ。

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というのも、ぼくは良い企画、面白いと思ってもらえる企画をすれば、それだけで売れると思っていた。だから、そこにばかり注力した。内容重視で頑張った。
そうして、それについては全うすることができた。事実、上記の売れなかった本も、読んだ人からはほとんど高評価を得た。

しかし、これは今にして思えば当然のことなのだが、企画というのは、内容が良ければ売れるものではなかった。「売れる」というのは、また別の理由によることなのだ。
有り体に言うと、人が『買いたい』と思うものであり、なおかつ良い内容のときに、本というのは売れる。そこでは、人々がまず『買いたい』と思うことが重要なのだ。

その意味で、ぼくの売れなかった企画の全ては、人々に『買いたい』と思わせる要素が少なかった。しかしその中で、仲谷明香さんの『非選抜アイドル』という本も企画したのだが、これは売れた。

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なぜなら、それは人々が買いたいと思うものになっていたからだ。

だから、ぼくはそこから『人々が買いたいと思うもの』にフォーカスを合わせる必要性を感じるようになった。そして、それにフォーカスして作ったのが『部屋を活かせば人生が変わる(ヘヤカツ)』であった。これは、おかげさまで『甲子園だけが高校野球ではない』や『非選抜アイドル』並のヒットとすることができた。

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さて、そうしてぼくは、次に『もしイノ』を企画することになるのだが……

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ここから先のことについては、土曜日に行われるトークショーで詳しくお話しします。
トークショーの詳細はこちらです。

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みなさま、もしよろしければ、お越しください。
トークショーに来られないブロマガ会員の方には、後日、トークショーの内容を書き起こし、会員限定記事でお伝えする予定です。また、当日の様子も、動画でご紹介できたらと考えております。
よろしくお願いいたします。

岩崎夏海