• 野球道とは負けることと見つけたり:その18(1,630字)

    2025-03-14 06:00会員無料2
    校長を池に落としたのと同じ1955年、こんな事件もあった。文也がスナックで飲んでいると、その店に池高の女生徒が入ってきた。

    文也はそれを、注意するというよりはからかうような感じで「こんなところで何しよんじゃ」と声をかけた。自分も飲んだくれている以上、注意するような立場にないことは分かっていたからだ。

    ところが、それを女生徒が無視したのである。それで頭に血が上った文也は女生徒の髪の毛をつかんで引き倒した。これが当時でも少なからぬ問題になり、相手の親が出てきて訴える訴えないの話になった。

    このことはかなりこたえ、文也は一度は教師を辞めようと決心する。しかし一日経って逆に「こんなことで辞めるわけにはいかない」と思い直し、方々に頭を下げて回った。このときは校長にも協力してもらって、相手の親からはなんとか訴えを取り下げてもらい、結局警察沙汰にはならないで済んだ。

    しかし教育委員会では不問に付すという
  • 1994:その43(1,637字)

    2025-03-13 06:00会員無料
    1990年前後に「月9」というブーム(ブランド)が生まれ、ふくらんでいった。1990年代の半ばには支配的になって世間を席巻する。それはまさに「テレビの時代」だったともいえよう。そしてテレビの時代の中心にいたものこそ「月9」だった。

    それがバブル崩壊や『ちびまる子ちゃん』の隆盛、あるいは音楽ブームと同時に起こっているのが面白い。いずれもバブル崩壊の後遺症がもたらしたものという見方もできるが、同時に虚飾から本質へと移行する、その過渡期に咲いた一つのあだ花とも見ることができる。

    なぜ「あだ花」かというと、その在りようが「夢」だったからである。夢には2つの意味がある。1つは、現実とは別の世界(夜に見る夢)。もう1つは、これから叶えたい願い(将来の夢)。いずれも、「現実」ではない。だからこそ、結局はあだ花で終わったのだ。

    1990年代、日本人は虚飾の宴が終わったことによって現実を突きつけられた。その
  • [Q&A]浜田雅功氏が休養したことについて(2,834字)

    2025-03-12 06:00会員無料1
    [質問]
    ここ最近、SNSを開くとトランプ大統領に憤る日本人を見ない日はないのですが、ハックルさんはこれについてどう思われますでしょうか? ぼくは、日本の総理大臣について気を揉むならまだしも、外国のリーダーの一挙手一投足にいちいち怒ったり嘆いたりするその気持ちが全く分かりません。

    [回答]
    これはぼくも気になっていました。そうしてトランプに言及する人のことを注意深く観察していたのですが、そこで二つの大きな共通点があるということに気づいたのです。

    それは、収入や財産が保証された安全地帯にいて、トランプのもたらす影響は絶対に受けないこと。なおかつ、暇であること。この二つが重なり合うと、どうにもトランプへの批判欲というか、攻撃欲が高まるらしいのです。

    これが何を意味しているかというと、「嫉妬」です。多くの人は、自分では全く気づいていませんが、トランプに過剰な嫉妬をしているのです。そうしてその嫉妬