-
本質的に生きる方法:その22(1,784字)
パソコンの普及はホワイトカラーを駆逐するきっかけとなった。そしてホワイトカラーの駆逐こそ、近代社会の終焉を意味した。だから、パソコンの登場は歴史的にきわめて大きなできごとだった。ただパソコンの普及を巡っては、歴史は少なからず複雑な動きをした。それは、パソコンが「人を選んだ」からだ。パソコンは一部の人しか使えなかった。また使える人の多くも、一部の機能しか使えなかった。全部使えるというのは希だった。だからパソコンは、世の中を一気に変えるということにはならなかった。おかげでホワイトカラーは延命し、従って近代社会もまた延命することとなった。ホワイトカラーや近代社会の本格的な終焉は、AIの登場までまたなければならなかった。パソコンが本格的に普及し始めたのが1980年代で、AIが本格的に普及し始めたのが2020年代なので、その延命期間は実に40年にも及んだ。人間の1世代がだいたい30年なので、そ -
石原莞爾と東條英機:その76(1,869字)
石原莞爾はかねてから日本の中国への侵攻に反対していたため、陸軍の中央部から煙たがられた。それで、1937年の10月に東京の参謀本部長から満州の副長官に転属になった。これは、中央から移されたという意味では左遷でもあったが、しかしそれでも満州は日本の要衝だったので、必ずしも悲観するような人事ではなかった。依然として、石原は陸軍の要職にいた。それに満州は、石原が脚光を浴びるきっかけともなった満州事変の当地であった。石原は満州が好きだったし、満州も石原が好きだった。しかし満州には大きな遺恨が形成されつつあった。それは、本来は単なる外国人である日本人が、満州人より威張っていたからだ。これは、軍人はもちろんだが役人や民間人もそうだった。満州は、対外的には独立国で、日本とは対等の立場ということになっていた。このことは、日本が諸外国に最も強調しなければならないポイントだった。それなのに、満州の日 -
野球道とは負けることと見つけたり:その18(1,630字)
校長を池に落としたのと同じ1955年、こんな事件もあった。文也がスナックで飲んでいると、その店に池高の女生徒が入ってきた。文也はそれを、注意するというよりはからかうような感じで「こんなところで何しよんじゃ」と声をかけた。自分も飲んだくれている以上、注意するような立場にないことは分かっていたからだ。ところが、それを女生徒が無視したのである。それで頭に血が上った文也は女生徒の髪の毛をつかんで引き倒した。これが当時でも少なからぬ問題になり、相手の親が出てきて訴える訴えないの話になった。このことはかなりこたえ、文也は一度は教師を辞めようと決心する。しかし一日経って逆に「こんなことで辞めるわけにはいかない」と思い直し、方々に頭を下げて回った。このときは校長にも協力してもらって、相手の親からはなんとか訴えを取り下げてもらい、結局警察沙汰にはならないで済んだ。しかし教育委員会では不問に付すという
1 / 1065
次へ>