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2024年を振り返り、2025年を展望する(2/5)(1,850字)
これから世界は右傾化していくだろう。右傾化というと警戒する人も多いが、人間社会で一番怖いのは「左傾化」である。なぜなら、左傾化の行き着く先に待っているものこそ、最大の恐怖である「全体主義」だからだ。これは多くの人が知らないことだが、戦前戦中の日本は、陸軍による左翼国家(右翼ではない)になり、最後には全体主義国家となった。それは石原莞爾や東條英機など、当時の日本を率いたリーダー層の来歴を知れば知るほどよく分かる。彼らはそれまでの右翼社会に激しく反発して日本を左傾化させた。その結果全体主義が台頭し、戦争が起こって多くの人が死んだのである。もちろん、激しい左傾化が起こったのはその前の社会が右傾化し、それに対する揺り戻しが起きたからだ。従って右傾化も危険は危険である。右傾化が極まったとき、反動として左傾化が起き、全体主義が台頭して、社会は破滅へと向かう。20世紀前半のドイツも同様の動きを見せ -
2024年を振り返り、2025年を展望する(1/5)(1,652字)
今年(2024年)も残り僅か。もうすぐ2025年である。そこで今年を振り返り、来年を展望するということを5回に分けて書いてみたい。10年後、20年後にこの記事を振り返ったとき、あのときの時代はああなっていた。あのときはこのようなことを考えていたんだと、参考になるようなものが書けたらと思う。ぼくの2024年はといえば、まず特筆すべきはいよいよバカと本格的に決別したことにある。ネットで発言するということをしなくなった。より正確に言えばSNSで発信しなくなった。このメルマガもnoteの連載も有料記事で無料では全部を読めないようになっている。だからいわゆる一般の人の目に触れることはない。それはいよいよぼくがバカに耐えられなくなって、これと決別したからだ。感覚としてはアルムおんじである。山に籠もって世捨て人のように生きている。しかしながら一人で生きているわけではない。なぜかは分からないが -
野球道とは負けることと見つけたり:その10(1,624字)
蔦文也は1951年に池田高校の野球部監督に着任した。27歳になる年のことであった。池田高校野球部は、戦後すぐの1946年に発足した(当時はまだ旧制の池田中だった)。はじめは同好会だったが、翌年の1947年から正式に部としての運営をスタートし、甲子園を目指す公式戦にも参加した。当時の徳島県の公式チームは15校である。夏は、このうちの2校までが南四国大会に進める。つまり3回勝てば進める。そこで高知代表2校も含めた4校で、甲子園出場をかけた勝負をする。このとき、勝ち残った1校しか出場できない。そういう狭き門であった。県大会に参加し始めてからの池田は、しばらくは連敗が続いた。それでも、2年後の1949年の夏の大会で、初めての勝利を記録する。さらに1950年は躍進し、夏の大会の県予選で2回勝った。もう1勝で南四国大会に出場できたが、名門鳴門商業に大敗する。文也が着任したのはその次の年である。
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